こんにちは!
今日は、監督名夫人御三家について紹介したいと思います!
監督名夫人御三家とは、
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!

岩下志麻とは、日本の女優。
本名は篠田志麻。
俳優・野々村潔と元新劇女優・山岸美代子の長女として生まれた。
4代目河原崎長十郎は義理の伯父に当たる。
夫は映画監督の篠田正浩。
弟は元俳優の岩下亮。松竹の看板女優の1人として活躍した。
身長165cm、体重48kg、血液型A型。
グランパパプロダクション所属。
1958年のNHKドラマ『バス通り裏』に十朱幸代の友人役として出演。
これが女優人生の始まりであり、映画では2年後の1960年(昭和35年)の『乾いた湖』(篠田正浩監督)でデビューした。
松竹には1960年から1976年(昭和51年)まで16年に渡って在籍し、その屋台骨を支えた。
1962年(昭和37年)、小津安二郎の遺作となった映画『秋刀魚の味』のヒロインに抜擢された。
小津は次回作『大根と人参』も岩下をヒロインに想定して構想を練っていた。
今でも海外に行った時には、小津について質問を受けることが大変多いと岩下は語っている。
1966年(昭和41年)3月3日(木曜日)、映画監督の篠田正浩と京都の大徳寺高桐院にて仏前結婚式を挙げる。
篠田の松竹退社後、2人で独立プロダクション「表現社」を立ち上げる。
『心中天網島』(1969年)は興行的にも成功をおさめ、『無頼漢』(1970年)、『沈黙 SILENCE』(1971年)等の作品を発表した表現社は軌道にのり、岩下は1973年に長女を出産。
女優、妻、母という3つの顔を持ったことで悩むことが多くなり、2年程は鬱々とした時期を過ごすが、1977年の『はなれ瞽女おりん』でカメラの宮川一夫や共演者の原田芳雄らに助けられながら、おりんという役を演じきったことで達成感を得て壁を破り、女優を続けていく覚悟を決めた。

岡田茉莉子とは、日本の女優・映画プロデューサー。
本名は吉田鞠子(旧姓は田中)。
母は宝塚歌劇団卒業生で男役を務めた田鶴園子。
夫は映画監督の吉田喜重。
1951年、叔父の山本のすすめもあり、東宝ニューフェイスの第3期として、小泉博らと共に東宝演技研究所に入所した。
入所して20日後、成瀬巳喜男の監督映画『舞姫』の準主役に抜擢されて銀幕デビュー。
父親譲りのコケティッシュな美貌と艶のある演技力で瞬く間に頭角を現し、東宝映画の主演スターとなる。
以後10年間程は月1本のペースで様々な映画に出演し、その中には原節子や高峰三枝子といった、伝説的女優達との共演作もある。
1957年3月にフリーとなり、同年9月に松竹と専属契約する。
女性映画を得意とする松竹では数々のメロドラマに主演し、先に東宝から松竹に移籍していた有馬稲子と共に松竹の二枚看板として大活躍した。
1960年には父の盟友であった小津安二郎の監督映画『秋日和』に出演。
以降1960年代は、小津や木下恵介等、当時の日本を代表する名監督たちの作品に複数出演する。
1962年、「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」として自らプロデュースした主演映画『秋津温泉』がヒットし、多くの映画賞も獲得した。
会社の意向で助監督に戻されていた吉田喜重を監督に起用した作品であった。
『秋津温泉』の成功を機に女優引退も決意していたが、吉田に諫められて翻意。
1963年11月6日、吉田喜重との婚約を発表。
1964年(昭和39年)6月21日、旧西ドイツのバイエルン州で吉田喜重と海外挙式した。
1965年、松竹とは2本の本数契約とし、事実上のフリーとなった。
1966年、吉田と独立プロ「現代映画社」を創立し、映画『女のみづうみ』を発表した。
同年10月、東宝演芸部と年間4本の専属契約を結んで以後は、商業演劇を中心に活躍する。
また、吉田監督作品では、先述の『秋津温泉』等を含めた11作品でヒロインを務めた。
映画が斜陽になった1970年代以降も映画出演を続けた。
また、1973年の映画『戒厳令』では女優としてではなくプロデューサーとして、吉田作品を支えている。
40代に入ってからも『人間の証明』(1977年)、『制覇』(1982年)、『序の舞』(1984年)、『マルサの女』(1987年)、『鏡の女たち』(2003年)等で主演や重要な役どころを演じた。

小山明子とは、日本の女優。
千葉県生まれで神奈川県横浜市鶴見区育ち。
戸籍名は大島明子。
旧姓は臼井。
夫は映画監督の大島渚。
叔父は社会運動史研究者の小山弘健。
神奈川県立鶴見高等学校卒業後、ファッションショーに出演し『家庭よみうり』のカバーガールになったのがきっかけで、スカウトされて松竹入り。
1955年、松竹映画『ママ横をむいてて』でデビュー。
当時、松竹の助監督だった大島渚と仕事を通じて知り合い1960年に結婚した。
大島からのプロポーズの言葉は「百貨店の物を何でも買ってあげるから」。
翌年、松竹を退社。
花登筺のテレビドラマ『道頓堀』(1968年)では、往年の浪速情緒あふれる大阪の女性を演じ、同じく花登作の1976年放送のテレビドラマ『あかんたれ』及び1978年の続編『続・あかんたれ』でも、明治大正期に格式の厳しかった大阪船場の成田屋のご寮さん・おひさ役を演じた。
如何でしたか?
映画監督と女優が結婚するパターンは、昔の方が良くあったみたいですね。
映画などの撮影は長期間に渡ることも多いので、親密性が増す可能性が高いですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!