こんにちは!
今日は、日本三大女優について紹介したいと思います!
日本三大女優に選ばれたのは、
水谷八重子(みずたにやえこ)(初代)
山田五十鈴(やまだいすず)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
水谷八重子(初代)
水谷八重子(初代)とは、女優。
時計商の娘に生まれ、1913年9月、義兄水谷竹紫の縁で、芸術座創立公演『内部』に群衆の子役として初舞台。
1920年2月、双葉高等女学校在学中に民衆座『青い鳥』のチルチルを演じ、清新な演技で好評、新派の井上正夫に認められ、後に日活映画『寒椿』等で共演する機縁となった。
同年12月、友田恭助の師走会(わかもの座)に参加。
1924年2月、竹紫のバックアップで第2次芸術座を再興。
1928年10月、松竹と契約、芸術座を率いて正式に新派に参加。
第2次世界大戦中は移動演劇に従事、戦後は新派大合同の機運に促されて、1949年、劇団新派に結集、花柳章太郎の相手役として活躍する一方、『蝶々夫人』『息子の青春』等で新境地を開く意欲を見せた。
花柳の没(1965年)後は、一座の座頭の重責にあった。
容姿に恵まれ『大尉の娘』の露、『金色夜叉』の宮、『鶴八鶴次郎』の鶴八、『皇女和の宮』等、当たり役は多い。
1956年、日本芸術院賞受賞、1958年、紫綬褒章受章、1971年、文化功労者。
日本芸術院会員。
1人娘の良重も女優で、1995年、2世水谷八重子を襲名した。
本名山田美津。
1930年、日本活動写真(日活)入社、『剣を越えて』でデビュー、娘役で人気を得た。
1934年に第一映画に移り、溝口健二監督の『浪華悲歌』(1936年)、『祇園の姉妹』(1936年)で好演、第一線の映画女優として認められた。
新興キネマ、東宝映画を経て、第2次世界大戦後は映画会社に所属せず、1960年代以降は舞台を中心に活躍、『たぬき』で1974年度芸術祭賞大賞を受けた。
日本放送協会NHKの大河ドラマ『赤穂浪士』、「必殺シリーズ」等、テレビでも活躍した。
他に、映画『現代人』(1952年)、『猫と庄造と二人のをんな』(1956年)、『蜘蛛巣城』(1957年度芸術選奨文部大臣賞)、舞台『香華』『太夫さん』(1983年度芸術祭賞大賞)等。
1993年に文化功労者に選ばれ、2000年には女優として初めて文化勲章を受章。
杉村春子とは、女優。
本姓は石山。
山中高等女学校卒業後、音楽家志望から転じて、1927年、築地小劇場の研究生となる。
築地座で頭角を現し、1937年、岸田国士、岩田豊雄、久保田万太郎が創立した文学座に参加、中心女優となる。
第2次世界大戦中及び1963年の2度に渡る劇団分裂の危機を乗り越えて活躍。
森本薫、飯沢匡、三島由紀夫、福田恆存らの作家に恵まれ、『女の一生』のけい、『欲望という名の電車』のブランチ、『鹿鳴館』の朝子、『華岡青洲の妻』の於継、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』のお園等、当たり役が数多くあった。
1947年、日本芸術院賞、1969年、朝日賞受賞、1974年、文化功労者等、十数回に渡り表彰を受けている。
また、1995年には文化勲章候補に挙げられたが辞退した。
如何でしたか?
水谷八重子と山田五十鈴は、昔の大河ドラマに出演してたので、知っていました。
日本にも数多くの素晴らしい女優がいた、そしているということを改めて実感しました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!