こんにちは!
今日は、三秀才について紹介したいと思います!
三秀才に選ばれたのは、
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
加藤周一とは、評論家、小説家、医師。
第一高等学校理科を経て、1943年、東京帝国大学医学部を卒業。
その間、福永武彦、中村真一郎、窪田啓作らと文学グループ「マチネ・ポエティク」を結成して定型詩の詩作を試み、また、避暑地の長野県追分で堀辰雄の知遇を得た。
第2次世界大戦後、中村、福永との共著『1946 文学的考察』(1947年)で認められ、『近代文学』の同人に参加、文芸批評の筆をとった。
次いで、小説を試み、『ある晴れた日に』(1949年)、『運命』(1956年)、『神幸祭』(1959年)等の長編小説を書いた。
国際的な視野で日本文化を再検討するという課題を自らに課し、評論集『雑種文化』(1956年)等の著書がある。
1960年以降、カナダのブリティシュコロンビア大学をはじめ、国内外の大学で教鞭をとった。
2004年には大江健三郎らと、憲法9条を守る為、「九条の会」を結成した。
他に、自伝的回想の『羊の歌』(1968年)、『続羊の歌』(1969年)、日本美術論『称心独語』(1972年)、短編小説集『幻想薔薇都市』(1973)、『日本文学史序説』(上巻、1975年、下巻、1980年)、『加藤周一著作集』(全 24巻、1978~1997年)等。
2000年、レジオン・ドヌール勲章受章。
中村真一郎とは、詩人、小説家、評論家。
第一高等学校を経て、1941年、東京大学仏文科卒業。
1942年、加藤周一、福永武彦らと文学グループ「マチネ・ポエティク」を組織、脚韻を試みる等の新しい詩運動を目指した。
加藤、福永との共著『1946-文学的考察』(1946何)で本格的活躍を開始。
「意識の流れ」を追うプルースト流の手法を駆使した『死の影の下に』(1946~1947年)以下『長い旅の終り』(1952年)に至る長編5部作を完成、その後は本格ロマンの創造に向かい、『回転木馬』(1957年)、『空中庭園』(1963年)、『火の祭り』(1969年)等を書いた。
また、江戸時代の漢詩に親しみ、『頼山陽とその時代』(1971年、芸術選奨文部大臣賞)で新境地を開き注目され、『蠣崎波響の生涯』(1989年)で読売文学賞受賞。
他に、『四季』(1975年)、『夏』(1978年)、『秋』(1981年)、『冬』(1984年)の4部作等があり、数多くの賞を受けた。
1991年、日本芸術院会員。
福永武彦とは、詩人、小説家。
第一高等学校を経て、1941年、東京大学仏文科卒業。
1942年、加藤周一、中村真一郎らと文学グループ「マチネ・ポエティク」を結成、加藤、中村との共著『1946 文学的考察』(1947年)や、『マチネ・ポエティク詩集』(1948年)で注目され、短編集『塔』(1948年)を経て、長編『風土』(省略版1952年、完全版1957年)や『草の花』(1954年)の成功で作家としての地位を確立。
『冥府』(1954年)以下の「夜の三部作」や『廃市』(1960年)等で生と死、愛の喪失と不毛等の主題を描いたが、それらの傷ついた人間の心象を描く手法は『死の島』(1966~1971年)に1つの到達を示している。
如何でしたか?
私は、1人も知りませんでした。
マチネ・ポエティクという団体に3人が関わっているようですね。
私もまだまだ勉強不足なので、色々なことを知っていきたいなと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!