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日本三大楼門って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、日本三大楼門について紹介したいと思います!

楼門とは、社寺の入口にある二階造の門のことです。

 

日本三大楼門に選ばれたのは、

阿蘇神社(熊本県阿蘇市

鹿島神宮茨城県鹿嶋市

筥崎宮(はこざきぐう)(福岡県福岡市)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

阿蘇神社

 

 

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阿蘇神社とは、熊本県阿蘇市一の宮町宮地に鎮座。

阿蘇12神、即ち一宮健磐竜命、二宮阿蘇都比咩命、三宮国竜神、四宮比咩御子神、五宮彦御子神、六宮若比咩神、七宮新彦神、八宮新比咩神、九宮若彦神、十宮弥比咩神、十一宮速瓶玉命、十二宮金凝神を祀り、更に別殿に『延喜式』に記す全国3132座の神を祀る。

一宮健磐竜命は神武天皇の子神八井耳命の子、二宮阿蘇都比咩命はその妃で、その他は全てその血縁関係にあたる。

社伝によれば、健磐竜命は神武天皇の特命を受けて九州鎮護の任にあたり、当時大湖水であった阿蘇火口湖を開いて美田を開発し、住民に農耕の道、畜産の法を教えたと言い、その子速瓶玉命によって孝霊天皇の代に祀られたのが本社の創建と言う。

古来朝廷の崇敬厚く、859年(貞観1年)に正二位、延喜の制で名神大社とされ、1017年(寛仁1年)、後一条天皇のとき1代1度の大奉幣に預かる。

肥後国熊本県)一宮。

広大な社領を持ち、中世にも武将に崇敬され、南北朝の争乱期に大宮司家が活躍したが、豊臣秀吉により社領を没収され、往時の勢いは衰えた。

1914年(大正3年)に官幣大社となる。

創建以来、祭神の子孫阿蘇宮司が奉仕し現在に至っている。

祭礼には、例祭7月28日の御田植神幸式(おんだ祭)、3月の田作祭、9月の田の実神事等があり、古来の特殊神事を良く伝えている。

これらは、「阿蘇の農耕祭事」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。

なお、2007年には、神殿や楼門等の社殿(2016年の熊本地震で倒壊したが、復旧工事が進んでいる)が国の重要文化財に指定された。

 

 

 

 

 

鹿島神宮

 

 

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鹿島神宮とは、茨城県鹿嶋市宮中に鎮座。

武甕槌大神を祀る。

武甕槌大神は、天照大神の命令を受けて、経津主神香取神宮の祭神)と共に、天孫降臨に先だち、高天原より出雲国島根県)に降り、大国主神と国譲りの交渉をしたと神話で語られる神で、神武天皇大和国奈良県)入国にも天皇を守護したと伝えられるが、その神武天皇が即位の後、神恩感謝の為、当地に祀らせたのが本社の起源と伝承する。

常陸国風土記』に、そのあと崇神天皇の代になり、大坂山に大神が現れ、中臣神聞勝命に神託し、それにより天皇は大刀、鉾、鉄弓等、多くの幣物を奉ったと記し、更に日本武尊の時、神示により舟3隻を奉納したと記している。

大和朝廷の東方経営とともに、武神としての本社が創建されたのであろう。

古くより、中臣氏が奉仕している。

風土記』に神戸65烟と記すが、『新抄格勅符抄』に、786年(延暦5年)に神封105戸と記す。

奈良時代、九州防備に赴く東国の防人が、まず本社に詣でて出発したことより「鹿島立ち」の語が生じ、それが広く旅立ちの意に用いられたのは、本社が古くより知られていた為と見られる。

812年(弘仁3年)、住吉・香取社とともに、820年に1度の式年遷宮の制度が定められ、866年(貞観8年)頃には陸奥国に苗裔神38社があり、またその頃、神宮寺もあった。

延喜の制で名神大社に列し、祈年・月次・新嘗の奉幣を受けている。

以後、平安時代にも皇室より1世1度の奉幣等、厚い崇敬を受けたが、その奉幣使を「鹿島使」と呼び、駅路片道15日、乗馬で往復した。

常陸国一宮。

鎌倉時代には源頼朝が崇敬し、後に武家も多く崇敬したが、室町中期以降、朝廷・武家の奉幣寄進が途絶えた為に社僧御手洗涼泉寺別当海上人が諸国を行脚し、浄財を集め社殿造営にあたるようなこともあった。

しかし、その後、佐竹氏が神領を寄進、江戸時代に徳川家康がまた社領を寄せ、以後朱印領2000石となった。

1605年(慶長10年)、徳川家康造営の本殿は現在の奥宮であり、1619年(元和5年)、徳川秀忠により、現本殿、拝殿、幣殿(いずれも国重要文化財)等が造営され、1634年(寛永11年)、水戸藩徳川頼房により楼門(国重要文化財)、忌垣等が構築された。

明治の制で官幣大社となる。

国宝の直刀・黒漆平文大刀拵等宝物が多い。

例祭は9月1日の神幸祭で、夜に提灯祭が行われ、他に3月9日の祭頭祭、また午年9月2日の御船祭等がある。

 

 

 

 

 

筥崎宮

 

 

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筥崎宮とは、福岡市東区箱崎町に鎮座。

祭神は応神天皇神功皇后玉依姫命を祀る。

官幣大社

延喜式神名帳に「八幡大菩薩筥崎宮」とあり、名神大社に列す。

境内近くの博多湾沿岸一帯にある松林「千代ノ松原」は、古くより本社の神木と伝えられており、応神天皇誕生のとき胞衣を箱に入れてこの地に埋め「しるしの松」を植えたという伝説に基づいて地名・社名が付けられたと伝える。

759年(天平宝字3年)、八幡神の神託を受け「しるしの松」の下に社殿が造営されたと言う。

また別の同宮縁起によると、921年(延喜21年)、宇佐八幡宮を勧請し鎮座したと伝える。

平安期以降は八幡信仰の発展に伴って、九州の著名な大社となり、特に鎌倉時代蒙古襲来の国難に際しては、敵国降伏の神として朝野の尊崇を集めた。

この外寇によって社殿を焼失した為、1275年(建治1年)、社殿を再建して正遷宮を行い、亀山上皇は「敵国降伏」の四字を紺紙に金泥で謹書して奉納した。

現在も神宝として伝存している。

西海防護の為、社殿は西方を向き、博多湾に臨み玄界灘に面している。

本殿・拝殿は1546年(天文15年)、楼門は1594年(文禄3年)の再建で、国の重要文化財に指定されている。

例祭は9月12~18日(隔年に神幸祭あり)。正月3日の玉取祭は有名。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

楼門が有名な神社があること自体、初めて知りました。

門という建造物にフィーチャーして、神社仏閣巡りをするのも面白いかもしれませんね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!