こんにちは!
今日は、日本四大寺(平安時代)について紹介したいと思います!
日本四大寺(平安時代)に選ばれたのは、
の4つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
総国分寺、金光明四天王護国之寺、大華厳寺などと称され、南都七大寺の1つ。
天平年間に聖武天皇の勅願により建立され、天平勝宝4(752)年に開眼供養が行われた。
諸国の国分寺の総本山となり、八宗兼学の道場であった。
本尊は毘盧舎(遮)那仏(びるしゃなぶつ)で奈良の大仏と称され、国宝に指定されている。
たびたび兵火にあったが、現存の大仏殿(国宝)は元禄年間の公慶上人の勧進により、宝永6(1709)年に再建された世界最大の木造建築。
境内に戒壇院、勧学院、二月堂、法華堂(三月堂)、三昧堂(四月堂)、開山堂、正倉院などがある。
養老4 (720) 年に興福寺仏殿司が設けられ、七堂伽藍や仏像の造立が相次ぎ、寺観が整備された。
藤原氏一門の氏寺として寺領は増大し、平安・鎌倉時代を通じ春日社の実権も掌握して、南都七大寺の1つとなる。
数回火災にあい、その都度再建されたが、中金堂の一郭は享保2 (1717) 年の火災後再建されていない。
北円堂、五重塔、東金堂、南円堂、三重塔、湯屋などの建造物が現存。
このうち北円堂、五重塔、東金堂、三重塔が国宝。
天平時代の『十大弟子立像』『八部衆立像』、白鳳時代の旧山田寺蔵の『仏頭』、板彫『十二神将立像』、北円堂の『四天王立像』、運慶作の『無着・世親像』、康慶作の『法相六祖坐像』、康弁作の『天燈鬼・竜燈鬼像』など、多数の国宝仏像彫刻を有する。
根本中堂 (国宝) をはじめ、大講堂、戒壇院、釈迦堂、山麓の滋賀院などの百有余の堂や塔がある。
延暦4 (785) 年に伝教大師最澄が比叡山寺と名づけたが、弘仁 14 (823) 年に嵯峨天皇の勅により延暦寺と改称した。
その後次第に堂や伽藍が増築され、平安末期には一山三千余坊といわれるほど栄えた。
正暦4 (993) 年に智証大師の門徒が園城寺に拠って寺門と称し、山門と呼ばれる延暦寺と争った。
この頃から僧兵をたくわえ強大な権力をもつようになったが、元亀2 (1571) 年に織田信長により焼打ちにあい、僧もほとんど殺された。
しかし天正 12 (1584) 年には豊臣秀吉が復興を命じ、寛永 17 (1640) 年には根本中堂が再建され、元の景観になった。
園城寺とは、滋賀県大津市園城寺町にある天台宗寺門派の総本山。
延暦寺を山門というのに対し、寺門という。
天智、天武、持統の3天皇の御産湯の水を汲んだ井戸があったということから、俗に三井寺の称がある。
大友皇子創建といわれ、平安時代に円珍が入唐帰朝後に再興した。
円珍寂後山門徒と抗争を繰返したが、延暦寺と並んで天台密教寺院、三井修験の本山として寺威はすこぶる興隆した。
堂塔伽藍は幾度かの災禍で焼失し、安土桃山時代以降に再建された金堂、勧学院客殿、光浄院客殿などは国宝建造物。
円珍関係の資料、『不動明王画像』 (黄不動 ) など多数の国宝を収蔵している。
如何でしたか?
真言宗の寺である、金剛峰寺や東寺は入っていないようですね。
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