こんにちは!
今日は、五胡について紹介したいと思います!
五胡とは、中国の3〜4世紀に、北方や西方から中国に移住した5つの非漢民族(少数民族)です。
五胡とは、
匈奴(きょうど)
鮮卑(せんぴ)
羯(けつ)
氐(てい)
羌(きょう)
の5つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
匈奴とは、中国の秦・漢時代にモンゴル高原で活躍した遊牧騎馬民族。
人種についてはチュルク系、モンゴル系等の説があり、定説はない。
前3世紀の末に冒頓単于が諸部族を統一して建てた、北アジアで最初の遊牧国家。
その最盛期には、漢もこれと和親政策を取らざるを得なかったが、武帝の度々の征討を受けて衰え、48年には内紛の為、南北に分裂。
このうち北匈奴は後漢の軍に討たれて瓦解し(91年)、西走してヨーロッパのフンになったと言われ、南匈奴は中国の北辺に移住定着。
ノイン・ウラ遺跡で発見されたその貴族の墳墓は、紀元前後頃における匈奴の文化を示している。
鮮卑とは、満州(現在の中国東北地区)からモンゴル高原に拠った古代の牧畜狩猟民族。
人種については、チュルク系説、モンゴル系説、モンゴルとツングースとの混血説がある。
匈奴の支配を受けていたが、匈奴が衰えると後漢とともにこれを攻撃した。
匈奴国家の崩壊後は、その残存勢力等を併合して、2世紀の中頃に檀石槐を君長とする国家を建て、内モンゴルを中心に勢力を奮った。
しかし、3世紀中頃に、慕容、乞伏、禿髪、拓跋等の部族集団に分裂し、中国文化を採用して華北へ移住した。
五胡十六国のうち、前燕、後燕、南燕(慕容部)、西秦(乞伏部)、南涼(禿髪部)を建てたが、北魏(拓跋部)が華北を統一した。
羯
羯とは、五胡の1つで、匈奴系の一部族名。
匈奴系の諸部族全般、更に北方民族全体を指して羯と言うこともある。
氐
古くから渭水上流地方から嘉陵江上流地方にかけて散在していたが、西晋の勢力が衰えると、楊氏、苻氏等の豪族が台頭した。
隋代から民族としての独立を失った。
その生活様式は農耕と遊牧とを兼ねたもの。
羌
羌とは、青海省を中心に中国北西辺境一帯に散在したチベット系遊牧民。
漢代には西羌と呼ばれた。
南北朝では甘粛南部によった宕昌羌、鄧至羌が中国と関係が深かった。
唐代にはタングート(党項)が強大となった。
しかし、間もなく吐蕃に圧迫されて、一部はその支配下に入り、一部は北東に移住して、後に西夏を建設した。
如何でしたか?
結構古い中国史の内容ですね。
非漢民族の侵攻というのは、長い歴史の中で頻繁にありましたね。
そして、清は非漢民族の王朝でしたね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!