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呉中の四才子って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、呉中の四才子について紹介したいと思います!

 

呉中の四才子に選ばれたのは、

文徴明(ぶんちょうめい)

祝允明(しゅくいんめい)

唐寅(とういん)

徐禎卿(じょていけい)

の4人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

文徴明

 

 

文徴明とは、中国、明の文人画家、書家、詩人。

長洲(江蘇省蘇州)の人。

名は璧、字は徴明、徴仲、号は衡山等。

10回に渡り科挙試験を受けたものの失敗、嘉靖2年(1523年)、翰林院待詔の任に就き、『武宗実録』の編修に従事したが僅か3年で辞職、郷里に隠棲して書画を楽しみ悠々自適の生活を送った。

絵は沈周に学び、呉鎮、趙孟頫の影響を受けながらも、その作品の大部分は淡中墨と擦筆描が用いられ、淡い色彩と平明な自然描写を特色とする。

明代を代表する南宗画の第一人者となり、大人の風格を持つその人柄によって周辺には多くの友人、弟子が集まり、呉派文人画の全盛期を齎した。

書は李応禎に学び篆、隷、楷、行、草の5体を書き、特に楷書を得意とした。

日本に将来され江戸時代の唐様書道に大きな影響を及ぼした。

詩は祝允明らと共に呉中の四才子と称された。

著書に『甫田集』(35巻)がある。

代表作『春深高樹図』、『絶壑高間図』。

 

 

 

 

 

祝允明

 

 

祝允明とは、中国、明の書家、文人、官吏。

長洲(江蘇省)の人。

字は希哲、号は枝山。

官は応天府通判となった。

母方の祖父、徐有貞から懐素流の草書を、妻の父、李応禎から楷書を学んだという。

本来、魏、晋の書風を良く学んだが、天性が磊落豪放であった為か、晩年は奔放な狂草に長じた。

文徴明と並んで「文祝」と呼ばれた。

作品には、『臨黄庭経巻』、『前後赤壁賦』等がある。

また、詩文を良くし、著書に『枝山文集』『野記』『蚕衣罪知録』『懐星堂集』等がある。

 

 

 

 

 

唐寅

 

 

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唐寅とは、中国、明の文人画家。

呉県(江蘇省蘇州)の人。

字は伯虎、子畏、号は六如等。

弘治11年(1498年)、郷試に首席で合格したが、会試で不正事件に連座して処罰され、以後、奔放不羈な一生を送った。

絵は周臣や南宋院体画、元の李郭派の影響を受けたが、後には南宗画の要素も取り入れた。

輝映するような画面は、その形態の奔放さと相まって独自の物と言える。

また、詩文にも優れ、徐禎卿、祝允明、文徴明らと共に「呉中四才子」と言われた。

著書に『唐伯虎全集』がある。

 

 

 

 

 

徐禎卿

 

 

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徐禎卿とは、中国、明の文学者。

呉県(江蘇省)の人。

字、昌穀。

早くから祝允明らと「呉中四才子」と称され、のち李夢陽、何景明と親交を結んで「三雄」と呼ばれ、「前七子」の1人に数えられる。

詩文集『徐廸功集』(6巻)。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

私は1人も知りませんでした。

国史は、まだまだ勉強が必要なようです。

それにしても、絵画、文学、書道、詩と本当に多才であったのですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!