こんにちは!
今日は、世界四大ラテン教父について紹介したいと思います!
世界四大ラテン教父に選ばれたのは、
アンブロシウス
ヒエロニムス
の4人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
アンブロシウス
アンブロシウスとは、聖人。
古代西方教会の四大教会博士の1人。
370年、ミラノの執政官となり、アリウス派を巡る論争の混乱状態を収拾、民衆に請われて、374年、ミラノ司教となり、アリウス派と徹底的に戦う。
優れた説教家であり、その筆記された物が彼の著作を成し、反アリウス派の諸著の他に『聖職について』、『六日間天地創造論』が有名。
彼はオリゲネスやアレクサンドリアのフィロンの聖書の寓意的解釈を摂取した他、ローマのヒッポリツス、エイレナイオス、アンチオキアのイグナチオスらを学び、東方神学を西欧に移植。
マリアの無原罪を主張し、中世のマリア崇敬の祖となった。
典礼と聖歌の革新の面では、アンブロジオ聖歌の名を残し、キリスト教賛歌の父と呼ばれ、「ミサ」の語を最初に使用した。
祝日12月7日。
ヒエロニムス
ヒエロニムスとは、アンブロシウスと並称される初代ラテン教父。
ラテン教会四大博士の1人。
聖人。
ローマで学び受洗。
20年間諸方を遍歴してローマへ戻り、教皇ダマスス1世に秘書として仕え、386年頃、聖女パウラらとベツレヘムに赴き、聖パウラ男子修道院の指導にあたった。
ヘブライ語、ギリシア語を良くし、ヘブライやギリシアの文化的遺産の西方への導入に努めた。
学問的業績のうちで最大のものは20年を費やして完成した聖書のラテン語訳ウルガタで、神学的著作としては、『詩篇』はじめ旧約聖書各書、『マタイによる福音書』、パウロ書簡等の注釈がある。
祝日9月30日。
アウグスティヌスとは、初期西方キリスト教会の教父、教会博士。
北アフリカのヒッポの司教。
新約聖書とプラトン的伝統との融合を試み、その神学と哲学的思索は中世のみならず、後世のキリスト教思想の展開に多大の影響を与えた。
その生涯は異教とキリスト教の対決に終始し、自らも一時マニ教、懐疑論等に傾斜したが、アンブロシウスの感化や新プラトン主義の影響、更に篤信のキリスト教徒であった母モニカのすすめ等により、遂に回心するに至った。
『告白』はキリスト者に形成されてゆく彼の自伝的著作。
391年、司祭となり、396年、ヒッポの司教になって以後は異端(マニ教、ドナツス派、ペラギウス説)との論争に加わり、教理と教会の権威の確立に努め、そのうちで自らの思想を発展させていった。
大著『神の国』は神の国と地上の国の対比を通じて教会への信仰を確立させた西洋初の歴史哲学書。
グレゴリウス1世とは、ローマ出身の第64代教皇(在位 590~604年)。
聖人。
レオ1世らと共に大教皇と呼ばれる。
四大ラテン教父の1人であり教会博士。
ローマ市の要職にあったが退き、私財を投じて7つの修道院を建て、その中の1つ、聖アンドレア修道院で生活した。
579年、教皇ペラギウス2世により助祭に叙任され、教皇大使としてコンスタンチノープルに赴く。
585年頃に帰国して、聖アンドレア修道院長となり、590年に教皇に選出された。
ローマ帝国の崩壊とランゴバルド族の侵入という激動期において、外交手腕によってイタリアに平和を齎し、トスカナからシチリアに至る所領を統一して教皇領の基礎を築き、教皇権を強化した。
また、教会内ではベネディクト会を広め、ベネディクト会士アウグスティヌスを派遣してイギリスでの布教に努め、典礼を改革し、後世に『グレゴリウス秘跡書』やグレゴリオ聖歌の名を残した。
その著作、寓意的解釈に基づく『ヨブ記講解』(579~596年)は中世における倫理神学、聖書解釈学の教科書となり、『司牧規則書』(591年)に示された理想と義務は中世の司祭職を律した。
他にヌルシアのベネディクトを含むイタリア聖人伝『対話』(594年以前)、エゼキエル書や福音書の解説、854通の書簡を残している。
如何でしたか?
世界史を学んだ方は、馴染みの名前が多かったのではないでしょうか?
私が世界史を勉強していた時、アウグストゥスとアウグスティヌスがいて、非常に紛らわしかったです。
もう1度世界史を勉強したいと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!