こんにちは!
今日は、カッパドキア三教父について紹介したいと思います!
カッパドキア三教父に選ばれたのは、
カイサリアのバシレイオス
ナジアンゾスのグレゴリオス
ニュッサのグレゴリオス
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
カイサリアのバシレイオス
カイサリアのバシレイオスとは、4世紀のギリシア教父。
聖性のほと走り出た「教父の黄金時代」を担う。
大バシレイオスと呼ばれ、また、ナジアンゾスのグレゴリオス、弟のニッサのグレゴリオスと共に「カッパドキアの三つの光(カッパドキア三教父)」と称えられる。
小アジア東部カッパドキアの町カエサレアの由緒あるキリスト教徒の家柄に生まれた。
コンスタンティノープル、アテネに遊学してギリシア古典の豊かな教養を積んだが、やがて、聖者たる姉マクリナ(330頃〜379年)の感化も預かって修道に志す。
シリア、エジプトの隠修士の下で禁欲的修行を行った後、故郷のネオカエサレアで修道院を組織。
この時、後世にまで範となった「修道規則」を共住修道士の為に作成し、「修道院制の父」となる。
また、ナジアンゾスのグレゴリオスと共に、オリゲネスの著作からの抜粋『フィロカリア』を編んだ。
エウセビオス(エウセビウス)の要請でカエサレアの司祭に挙げられ、その死後、主教となる。
総じてクレメンス、オリゲネスの学統の継承展開として、ギリシア古典の受容に積極的姿勢を示しつつ、異端のアリウス派に対する論陣を張り、三位一体の正統教義の確立に尽くした。
同時に、司牧、福祉、典礼の制定等の実践的活動に多大の足跡を残し、東方教会の伝統の礎となった。
著作に『エウノミオス駁論』、『聖霊について』の他、多数の説教、300通以上の珠玉の書簡が残されている。
ナジアンゾスのグレゴリオス
ナジアンゾスのグレゴリオスとは、バシレイオス、ニッサのグレゴリオスと共に「カッパドキア三教父」の1人。
「神学者」とも称される。
父はカッパドキアのナジアンゾスの司教。
当時のキリスト論論争の激化の中で、正統派の信仰を擁護、特にキリストの人性を曖昧にしたアポリナリオスの説に反対して、キリストの完全な人性を主張した。
381年、コンスタンティノープルの司教に就任したが、まもなく辞任、以後隠修生活に入った。
彼は「クリスチャン・デモステネス」と呼ばれた程、雄弁な説教家で、優れた著述家でもあり、古典的教養に満ちた数々の著作を通じて正統派の三位一体論の完成に尽力した。
ニュッサのグレゴリオス
ニュッサのグレゴリオスとは、東方教会の伝統にあって神学、哲学面での代表者の1人。
「教父中の教父」。
4世紀という「教父の黄金時代」を担う。
兄の大バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオスと共に、「カッパドキアの三つの光(カッパドキア三教父)」と称えられる。
小アジアのカッパドキアの町カエサレアの由緒あるキリスト教徒の家柄に生まれ、バシレイオスの薫陶を受けた。
初め修辞学の教師となったが、ナジアンゾスのグレゴリオスの影響もあって修道生活に入り、371年、兄の要請で小市ニッサの主教となる。
アリウス派の皇帝バレンス(在位364~378年)の圧迫により聖職を一時免ぜられたものの、復帰後、381年に出席したコンスタンティノープルの公会議では、ニカイア信条のうたう三位一体の正統教義(特に聖霊の神性)の確立に主導的役割を果たした。
その後は観想のうちに神秘神学の書を数多く著す。
グレゴリオスは、人間であることの普遍の形、すなわちアレテー(徳)を、超越的善との関わりにおける「絶えざる生成」として捉え、そこに神の名たる「存在」のロゴス化(受肉)を見た。
そうした魂の再生と神化に預かる「自由なる択び」は、神と人との協働であると言う。
総じて、クレメンス、オリゲネスの学統の継承展開であり、プラトン主義的キリスト教哲学の一つの完成形態である。
グレゴリオスは、バシレイオスや次代の「金の口」ヨハネス・クリソストモスほど偉大な司牧家では無かったが、思弁的神秘家として彼らを凌いだ。
著作に『大教理講話』、『エウノミオス駁論』等の教義的大作、『雅歌註解』、『モーセの生涯』といった知性的神秘主義とも言うべきアレゴリー的聖書解釈の書、及び『処女性について』、『マクリナの生涯』等の修道的作品が残されている。
如何でしたか?
正直、1人も知りませんでした。
カッパドキアと聞くと、トルコの世界遺産しか思い浮かびませんでしたので、世界史についても、もっと勉強していきたいと思います。
最後までお読み頂き有難う御座いました!