こんにちは!
今日は、三賢女について紹介したいと思います!
三賢女に選ばれたのは、
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
安倍清行、小野貞樹、文屋康秀らとの交渉から承和~貞観中頃(834~868年頃)が活動期と考えられる。
その出自や身分については、小野篁や出羽郡司等と関連づけたり、更衣や采女等とする説があるが未詳。
小野氏出身の宮廷女房か。
『古今集』以下の勅撰集に60首余入集、家集に『三十六人集』の1つ『小町集』があるが、確実に小野小町の歌と言える物は少ない。
哀感、諦念のこもった、不毛の愛を詠んだ歌に特色がある。
平安中期から、その歌才、容貌、老後等について様々な伝説が発生し、小町物と呼ばれる謡曲に集大成された。
『源氏物語』の作者。
漢学者であった藤原為時を父として生まれ、母は藤原為信の女で早く亡くなり、父の手で育てられた。
長保1年(999年)頃、年齢の違う藤原宣孝と結婚、後冷泉院の乳母になった大弐三位賢子を産んだが、長保3年(1001年)、夫と死別。
寛弘2年(1005年)あるいは翌寛弘3年(1006年)の年末、一条天皇の中宮彰子に出仕したが、女房生活には馴染めなかったらしい。
その間の事情は『紫式部日記』に詳しい。
その点、清少納言とは対照的で、同時代の女流文学者として、和泉式部、赤染衛門らと共に対比されることが多い。
40歳余りで没したと推定される。
家集『紫式部集』があり、伝記資料としても重視される。
『枕草子』の作者。
橘則光、藤原棟世らと結婚、橘則長、小馬命婦らを産んだと推定される。
その生涯の詳しいことは、一条天皇の中宮定子に正暦4年(993年)頃、出仕してから長保2年(1000年)、定子が薨じるまでの宮廷生活を中心に知りうるだけである。
定子の寵愛を受けて、その父の関白、藤原道隆、その兄の伊周をはじめ、藤原斉信、藤原行成以下の公家貴族との華やかな交際場裡に生きた。
それらを具体的に記した散文『枕草子』には、打てば響く活発な才気、宮廷文化の頂点に立つ鋭い美意識が見られる。
晩年は落ちぶれて老い恥を晒したと『古事談』等に伝えられ、東国に流れていった時に記したという『松島日記』等があるが、全て伝説で信じられない。
家集に『清少納言集』がある。
如何でしたか?
平安時代を代表する女性文化人ですね。
しかしながら、小野小町については、まだまだ謎が沢山残っていますね。
名前は有名ですが、記録が残っていない人物って割と多いですよね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!