こんにちは!
今日は、日本三大盆踊りについて紹介したいと思います!
日本三大盆踊りに選ばれたのは、
西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)(秋田県羽後町)
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
8月の盆に合わせて踊られる。
最も大規模な徳島市の阿波踊は毎年8月12~15日に行われる。
男性は半纏や浴衣、手拭の頬被りに白足袋、女性は浴衣に鳥追い笠と呼ばれる編笠、下駄履き姿で、連と呼ばれるグループを組み、腰を落とし両手足を交互に突き出すようにして踊る。
踊りの基本は、三味線、鉦、太鼓、締太鼓、鼓、笛が奏でる2拍子の軽快なリズムによる「ぞめき」で、それに「踊る阿呆に見る阿呆」等の「よしこの」と呼ばれる歌が伴う。
「ぞめき」は騒がしいことを意味し、派手に浮かれた賑やかな踊りの呼び名で、江戸時代以来の盆踊の要素と考えられている。
一方、「よしこの」は江戸時代後期に東海から関西にかけて流行した歌で、大正時代中頃には阿波踊りの歌は「よしこの」だけとなった。
天正13年(1585年)、徳島城築城の祝いに城主蜂須賀氏が城下の者に無礼講で踊らせたのに始まると伝わるが、今日の阿波踊の形が作られたのは文化・文政年間(1804~1830年)頃と考えられている。
徳島市の阿波踊りは、東京都の東京高円寺阿波踊りを始めとして、全国各地に広まっている。
西馬音内の盆踊り
西馬音内の盆踊りとは、秋田県羽後町の中心集落、西馬音内の本町通りで、毎年8月16~18日の晩に行われる盆踊り。
かつては旧暦7月16~20日に行われていた。
正応年間(1288~1293年)に源親という修行僧が蔵王権現(御嶽神社)を勧請し豊作祈願として踊ったのが始まりとも、慶長6年(1601年)に滅んだ西馬音内城主小野寺一族を偲んで家臣たちが宝泉寺で踊った亡者踊りが始まりとも言われ、天明年間(1781~1789年)に本町通りで踊るようになったとされる。
踊りの開始を告げるのは寄せ太鼓で,次いで笛、鉦と大太鼓、小太鼓、鼓、三味線を調子良く奏で、地口と呼ばれる即興的な歌に合わせて踊る音頭、とり音頭となり、夜が更けると一転して哀調を帯びた囃子に変わり、優雅な甚句に合わせて踊るがんけとなる。
踊り手は、男性は浴衣に角帯を締めて腰に瓢箪を吊るし、女性は端縫いの着物や浴衣に鳥追笠(編み笠)、または藍染の浴衣に彦三頭巾と呼ばれる黒覆面で顔を覆った姿を取る。
彦三頭巾の踊り手は亡者の姿を表すとされていることから、亡者踊りの名もある。
1981年、国の重要無形民俗文化財に指定された。
郡上踊り
郡上踊りとは、岐阜県郡上市八幡町で、毎年8月13~16日の盆期間 4日間を中心として、32夜に渡って踊られる盆踊り。
江戸時代に、藩主が士農工商の各身分の融和を図る為に近隣の盆踊を城下に集め、盆の4日間は無礼講で踊るよう奨励したことに始まると伝えられ、約400年続いていると言われる。
7月15日の踊り発祥祭に始まり、9月9日に踊り納めとなっていたが、今日は7月中旬の土曜日に踊り発祥祭があり、9月上旬の土曜日に踊り納めとなっている。
その間、盆の4日間に毎晩8時から翌朝5時頃まで踊り明かす徹夜踊りと、各地区の祭りや行事の日に合わせて踊る縁日踊りが行われる。
踊りの曲は、『古調かわさき』『かわさき』『三百』『春駒』『ヤッチク』『げんげんばらばら』『猫の子』『甚句』『さわぎ』『まつさか』の 10曲あり、誰でも踊りに参加できる。
徹夜踊りの際には、踊り保存会員が一般の踊り手を審査して、上手な踊り手に後で免許状と引き換える木札を手渡す。
様々な仮装をして踊る変装踊りもある。
1996年、国の重要無形民俗文化財に指定された。
如何でしたか?
日本には、様々な盆踊りが存在するのですね。
私は、盆踊りには詳しく無いので、阿波踊りしか知りませんでした。
最後までお読み頂き有難う御座いました!