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惺門四天王って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、惺門四天王について紹介したいと思います!

惺門四天王とは、藤原惺窩(ふじわらせいか)の弟子である4人のことです。

 

惺門四天王に選ばれたのは、

林羅山

那波活所(なばかっしょ)

松永尺五(まつながせきご)

堀杏庵(ほりきょうあん)

の4人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

林羅山

 

 

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林羅山とは、江戸時代前期の朱子学派の儒学者

江戸幕府儒官林家の祖。

名は忠、信勝。

字は子信。

通称は又三郎。

羅山は号。

法号は道春、羅浮子。

父は林信時。

13歳で建仁寺の大統庵に入り、18歳の時、『朱子集注』を読んで、朱子学に傾倒。

22歳の時、藤原惺窩の門人となり、翌年惺窩の推挙により、徳川家康の侍講となって、外交文書や諸法度の起草、儀式の調査制定等にあたった。

秀忠、家光、家綱までの4代の将軍に仕え、寛永7年(1630年)、上野忍岡に家塾を建てて、後官学となった昌平黌の学問の礎を築いた。

著書『三徳抄』『大学解』『神道伝授』『本朝神社考』『本朝通鑑』『羅山文集』。

 

 

 

 

 

那波活所

 

 

那波活所とは、江戸時代前期の朱子学派の儒学者

名は觚、字は道円。

京都に出て藤原惺窩に学び、林羅山らと共に藤門四天王と称された。

紀伊徳川頼宣らに仕えた。

著書『通俗四書註者考』(1696年)。

 

 

 

 

 

松永尺五

 

 

松永尺五とは、江戸時代前期の朱子学派の儒学者

名は遐年、字は昌三。

貞徳の子。

藤原惺窩に朱子学を学び、儒仏神三教一致の立場を取った。

加賀藩に出仕したが、後京都に帰り、春秋館、講習堂を建てたが、更に慶安1年(1648年)、尺五堂を開き、子弟の教育にあたった。

門人は5000人と称され、木下順庵、貝原益軒、宇都宮遯庵らを輩出した。

著書に『五経集注首書』『四書事文実録』『大海一滴』がある。

 

 

 

 

 

堀杏庵

 

 

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堀杏庵とは、江戸時代初期の朱子学者。

名は正意、字は敬夫、通称は与十郎、別号は杏隠、蘇巷。

医師堀徳印の子。

7歳の時、京都に出て藤原惺窩に朱子学を学び、林羅山、松永尺五、那波活所と共に惺窩門下の四天王と称された。

医学も曲直瀬正純に学び、医正意と称した。

芸州藩儒、尾州藩儒を経て、晩年は江戸幕府に出仕し、『諸家系図伝』の編集に参与。

著書『新定武家系図伝纂』『太閤朝鮮征伐記』『東行日録』。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

林羅山は日本史で登場しますが、その他の3人は、中々マイナーですね。

藤原惺窩の弟子には、石田三成小早川秀秋もおり、武士にも教えが普及していたようですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!