こんにちは!
今日は、幕末の三筆について紹介したいと思います!
幕末の三筆に選ばれたのは、
市河米庵(いちかわべいあん)
貫名海屋(ぬきなかいおく)
巻菱湖(まきりょうこ)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
名は三亥、字は孔陽。
通称小左衛門。
号は米庵、楽斎等。
儒者寛斎の子。
儒学を父や林述斎、柴野栗山に学ぶ。
書は長崎で清の胡兆新に師事、また米芾、顔真卿に私淑。
前田侯に仕えて名声を博し、門人は5000人に及んだ。
巻菱湖、貫名海屋と共に幕末の三筆。
詩にも長じ詩集8巻がある。
画跡、文具、金石の収集家としても有名。
著書『清三家書論』『米家書訣』『米庵墨談』等。
主要作品『朶雲帖』『試毫帖』『皇国州名歌』『三体千字文』。
貫名海屋
貫名海屋とは、江戸時代後期の南画家、書家。
阿波蜂須賀藩士の次男。
名は苞、字は君茂、号は海屋、別号は菘翁。
大坂に出て儒学を学び京都で塾を開いた。
少年時代から書画を好み、絵は初め狩野派、後に長崎で鉄翁祖門に師事。
書にも優れ幕末の三筆と称された。
主要作品『永源寺秋景図』。
本姓は池田、後に巻と改姓。
名は大任、字は致遠。
菱湖、弘斎は号。
また書を好み楷書は欧陽詢、行書は李北海、草書は李懐琳を骨子として学んだ。
仮名は近衛家煕の書流を好んで上代様を研究、世に菱湖流と呼ばれる一流を開き、市河米庵、貫名海屋と共に「幕末の三筆」と称賛された。
主要作品『岳陽楼記』(1839年)、『後赤壁賦』(1839年)、『古今集序』(1841年)。
如何でしたか?
私自身、3人とも存じ上げませんでした。
幕末の文化史については、あまり詳しくないので、また勉強していきたいと思います!
それにしても、こんなに三筆が多く存在知るのも初めて知りました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!