こんにちは!
今日は、松代三山について紹介したいと思います!
松代三山とは、江戸時代後期の松代藩で儒学者の3人の総称です。
松代三山に選ばれたのは、
鎌原桐山(かんばらとうざん)
山寺常山(やまでらじょうざん)
佐久間象山(さくましょうざん)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
鎌原桐山
鎌原桐山とは、江戸時代後期の儒者。
安永3年11月14日生まれ。
岡野石城、後に江戸で佐藤一斎に学ぶ。
武技にも優れた。
真田幸弘、幸専、幸貫の3代の藩主に仕え、首席家老に進んだ。
門人に佐久間象山らがいる。
嘉永5年閏2月26日、死去。
79歳。
名は重賢、貫忠。
字は子恕。
通称は伯耆、石見。
著作に『大東鈴家智嚢』。
山寺常山
山寺常山とは、江戸後期〜明治時代の武士、兵学者。
文化4年生まれ。
老中となった藩主、真田幸貫を補佐。
寺社奉行、郡奉行を兼ね、廃藩後は教育者となる。
佐久間象山、鎌原桐山と共に松代の三山と言われる。
明治11年7月3日、死去。
72歳。
名は久道、信竜。
字は子彰。
著作に『如座漏船居紀聞』等。
佐久間象山とは、江戸時代後期の武士、思想家。
文化8年2月28日生まれ。
妻は勝海舟の妹。
江戸で佐藤一斎に学び、神田で塾を開く。
江川英竜に西洋砲術を学び、勝海舟らに教えた。
後に公武合体、開国を説き、元治元年7月11日、京都で尊攘派に暗殺された。
54歳。
名は啓、大星。
字は子明。
通称は修理。
号は「ぞうざん」とも読む。
著作に『省諐録』等。
如何でしたか?
佐久間象山は、知ってしましたが、他の2人は知りませんでした。
鎌原桐山が佐久間象山の師匠であったり、佐久間象山の妻が勝海舟の妹といった情報は初めて知りました。
まだまだ知らないことが沢山あるので、勉強し続けたいと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!