こんにちは!
今日は、摂津三守護について紹介したいと思います!
摂津三守護とは、安土桃山時代に織田信長による摂津攻略後、摂津守護に任じられ、当該地域を統治した3人のことです。
摂津三守護に選ばれたのは、
和田惟政(わだこれまさ)
伊丹親興(いたみちかおき)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
池田勝正とは、戦国〜織豊時代の武将。
父である池田長正の跡を継ぎ、永禄6年(1563年)、摂津池田城(大阪府)城主。
永禄11年、織田信長に攻められて降伏したが、本領を安堵され、摂津三守護の1人となる。
元亀元年、三好長逸と通じた弟の知正(重成)に城を追われた。
天正6年、死去と言う。
名は勝政とも書く。
足利義昭を立て、幕府再興の為、織田信長と結び、摂津高槻城主となる。
池田知正と戦い、元亀2年8月28日、討ち死に。
42歳。
近江(滋賀県)出身。
伊丹親興
永禄11年(1568年)、織田信長に従い、三好党を攻め、摂津伊丹(兵庫県)に所領3万石を与えられる。
後に信長と対立した足利義昭についた為、荒木村重に攻められ、天正2年11月15日、自刃した。
落城時に脱出し正親と称して黒田長政に仕え、関ヶ原の戦いで戦死したとする説もある。
如何でしたか?
私は、和田惟政しか知りませんでした。
織田信長の天下統一事業には、まだまだ様々な人物が関わっているのですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!