こんにちは!
今日は、財界四天王について紹介したいと思います!
財界四天王とは、池田勇人内閣を支えた4人のことです。
財界四天王に選ばれたのは、
小林中(こばやしあたる)
水野成夫(みずのしげお)
桜田武
の4人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
小林中
小林中とは、経営者。
早稲田大学を中退。
実業界に入った。
1946年東急電鉄社長。
51年、日本開発銀行 (現日本政策投資銀行) 創設とともに初代総裁となる。
これは、政界の吉田茂首相-池田勇人蔵相と、財界の大御所宮嶋清次郎-小林という緊密な人脈による人事で、以後小林は吉田政権下の日本経済再建に大きく寄与した。
同時に、宮嶋の後継者桜田武、永野重雄、水野成夫と共に「財界四天王」と称され、吉田-池田-佐藤の「保守本流」の後ろ楯となった。
水野成夫とは、昭和期の実業家。
東京帝国大学を卒業後、日本共産党に入党し、産業労働調査所に勤務。
1927年、日本共産党を代表してコミンテルン極東政治局に派遣され、中国の武漢政府の樹立に参画するが、28年の三・一五事件で検挙され、翌年獄中で転向。
40年に大日本再生製紙会社を設立し、同社が国策パルプ会社に吸収された後、社長に就任。
その後は文化放送、ニッポン放送、産業経済新聞社、フジテレビ等の社長を歴任した。
永野重雄とは、実業家。
浅野物産に入り、翌年富士製鋼に移り、33年支配人となる。
34年、製鉄大合同で日本製鉄に移り、製鉄分割により 50年富士製鉄社長。
70年、八幡、富士両製鉄合併で新日本製鐵会長となり、73年相談役に退く。
46年経済同友会設立に参画、50年代表幹事。
52年東京商工会議所副会頭、69年日本商工会議所会頭となり、以後約 15年在任した。
桜田武
桜田武とは、実業家。
1926年、東京大学を卒業し日清紡績に入り、45年社長となった。
先輩宮嶋清次郎と吉田茂の親交の縁から、吉田及びその門下の池田勇人と親交を結び、政界への発言権を強めた。
64年同紡績会長、70年相談役と、社業からは身を引いたが、財界人として重きをなした。
特に、48年の創設以来、日経連で活躍し、総理事、代表常任理事の後、74年会長となる。
79年5月後を大槻文平に譲り、同会長を辞任した。
清廉剛直な人柄で、政財界に対し苦言、直言を呈した。
如何でしたか?
あまり知られていない人物かもしれませんが、会社に関しては有名な会社ばかりですね。
高度経済成長を支えた功績は大きいかもしれないですね。
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