こんにちは!
今日は、第二次世界大戦の連合国側のビッグスリーについて紹介したいと思います!
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
本名は I.V.Dzhugashvili。
靴職人の子に生まれ、1894年チフリス高等神学校に入学、98年グルジアの愛国的社会主義団体に加入し、マルクス主義に接近、99年神学校から追放された。
職業革命家となり、革命まで逮捕、流刑、逃亡を繰返した。
1912年党中央委員となって機関紙編集を担当、スターリン (鋼鉄の人) を名のった。
17年の二月革命後党政治局員となり、ソビエト政権では民族問題人民委員に就任、ボルシェビキ内での発言力を強めていった。
22年党書記長に就任、死ぬまでその地位にあった。
24年 V.I.レーニンの死後、L.トロツキーを排除するため G.E.ジノビエフ、L.B.カーメネフとトロイカ方式を組み、同年「一国社会主義」理論を提起。
28~29年トロツキー、ジノビエフ、カーメネフ、N.I.ブハーリン、A.I.ルイコフ、M.P.トムスキーなどを順次排除し、独裁体制を固めるとともに、28年からの5ヵ年計画により工業化を強行。
36年の「スターリン憲法」は社会主義の勝利とソビエト市民の権利擁護を打出したが、皮肉なことにその前後から膨大な数の党員が投獄、処刑される「大粛清」が開始された。
41年首相の地位をも兼ね、第2次世界大戦では国防会議議長、赤軍最高司令官として戦争を指揮。
戦後東欧諸国で新体制が生まれたが、ユーゴスラビアをコミンフォルムから追放したり、画一的な路線や粛清を各国に押しつけたりして、その後の動乱のきっかけをつくった。
53年脳出血で死去。
主著『マルクス主義と民族・植民地問題』 Marksizm i natsionalno-kolonialnyi vopros (1912~13) 、『レーニン主義の諸問題』 Voprosy leninizma (26) 、『ソ連における社会主義の経済的諸問題』 Ekonomicheskie problemy sotsializma v SSSR (52) など多数。
フランクリン・ルーズベルトとは、アメリカの政治家。
第 32代大統領 (在任 1933~45) 。
名門の家に生まれ、1904年ハーバード大学卒業。
W.ウィルソン政府のもとで海軍次官をつとめ、20年の大統領選挙で副大統領候補に指名されたが敗北。
翌年小児麻痺にかかり闘病生活を強いられた。
28年政界に復帰してニューヨーク州知事に当選。
次いで大恐慌 (大不況 ) の経済危機のもとで 33年大統領に就任、ただちにニューディールと呼ばれる大がかりな恐慌対策に着手し、景気の回復に努めるとともに、種々の社会改革を推進した。
第2次世界大戦の勃発後は連合国側の支援に乗出し、41年に参戦。
戦時大統領として強力な指導力を発揮しつつ、ソ連との協調を重視しながら戦後の平和構想の立案に尽力した。
しかし終戦を目前に脳溢血で死去。
ウィンストン・チャーチルとは、イギリスの政治家。
保守党政治家 R.チャーチル卿の長男。
1894年サンドハーストの陸軍士官学校卒業。
1900年に保守党下院議員となったが、04年関税政策に反対して自由党に移り、植民省次官、内相などを経て、第1次世界大戦時には海相、軍需相として活躍。
戦後陸相として対ソ干渉戦争を推進、次いで植民相となった。
24年保守党に戻り、24~29年蔵相に就任。
第2次世界大戦前には対独宥和政策に反対。
開戦とともに海相となり、40年首相に就任。
フランスの敗北、イギリス本土の空爆など困難な政局にもめげず、アメリカ、ソ連と協力して最終的な勝利に導いた。
戦後の 45年総選挙に敗れ辞職したが、51~55年首相に復帰。
53年ノーベル文学賞を受けた。
主著『第2次世界大戦』 The Second World War (6巻,1948~54) 。
如何でしたか?
世界史を習った人にとっては、とても有名な3人ですね。
第二次世界大戦に勝利した連合国側も、冷戦が始まり、そういった意味では、この戦争で勝利した本当の国は一体どこなんでしょうか?
最後までお読み頂き有難う御座いました!