こんにちは!
今日は、世界三大宗教空間について紹介したいと思います!
世界三大宗教空間に選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
サン・ピエトロ大聖堂とは、ローマ、バチカン市国内の大聖堂。
旧バシリカと呼ばれる旧聖堂は、コンスタンチヌス帝により聖ペテロの墓所に建立 (326/33~360頃) され、五廊式十字プランのバシリカ建築であった。
ルネサンス期に教皇ニコラウス5世が改築計画を立てたが、現在の聖堂は 16世紀教皇ユリウス2世の改築計画に始まる。
ブラマンテ、ラファエロ、A.サンガロ (1483~1546) を経て、1547年ミケランジェロが設計、建造に従事。
ミケランジェロはブラマンテのギリシア十字プランと大ドームのアイデアを採用し、64年死去の際にはタンブールが完成していた。
その後 90年に G.ポルタが大ドームを完成、C.マデルノが 1612年にファサードを、14年に身廊部を東部に延長し、ラテン十字形のバシリカに完成した。
26年教皇ウルバヌス8世により献納され、のち 67年 G.ベルニーニによってアトリウムともいうべき聖堂前の円柱回廊が建造された。
内部はルネサンスとバロック美術のみごとな作品で埋まり、なかでもミケランジェロの『ピエタ』は有名。
パルテノン神殿とは、ギリシア、アテネのアクロポリスの丘に建つドーリス式神殿。
前 479年にペルシア人が破壊した旧神殿の跡に、前 447~438年にフェイディアスを総監督に、当時の技術の粋を集めて造られた。
ギリシア女神アテナに捧げられたもので古典期芸術の頂点を示す作品。
ペンテリコン産の大理石を使い、面積 30.88m× 69.5mの床に高さ 10.4m、底面の直径 1.9mのドーリス式円柱が、東西各8本、南北各 17本並んでいる。
内部は東西それぞれ6柱式の玄関廊があり、東側からプロナオス (ヘカトンペドンとパルテノン〈処女神アテナの間。のちに神殿全体の名称となる〉とに分れる) 、オピストドモス (後室) が配置され、ヘカトンペドンにはフェイディアス作の黄金象牙像アテナが安置されていた。
東側のメトープには神々と巨人の争い、南側はラピタイとケンタウロスの戦い、西側はアマゾンの戦い、北側にはトロイ戦争が浮彫で表わされ、東破風には女神アテナの誕生、西破風にはアテナとポセイドンのアッチカの土地争いの群像彫刻がある。
またナオスの外壁上部にはパナテナイア祭を描いた約 160mに及ぶフリーズが1周していた。
ビザンチン時代にはギリシア正教教会に、トルコの占領時代にはモスクに改造され、さらに火薬庫に用いられて 1687年ベネチア軍によって爆破され、屋根、内陣の壁、円柱が破壊された。
彫刻群の大部分は現在大英博物館のエルギン・ルームにある。
法隆寺とは、奈良県斑鳩 (いかるが) 町にある聖徳宗の総本山。
正しくは法隆学問寺と称し、斑鳩寺 (いかるがでら) 、鵤僧寺 (いかるがそうじ) ともいう。
南都七大寺の1つ。
推古 15 (607) 年に聖徳太子が開創したと伝える。
三論、法相両宗の兼学道場であったが、明治初期から法相宗、第2次世界大戦後、法相宗から分かれて聖徳宗を開いた。
現存する世界最古の木造建築物で金堂、五重塔、中門、回廊を主体とする西院と、夢殿を中心とする東院とに分かれる。
飛鳥様式の西院伽藍は、創建時のものか、天智9 (670) 年に焼失後再建されたものかについて論争が続いたが、1939~83年の若草伽藍跡などの発掘調査の結果、焼失後8世紀初めまでに、少し離れた現在地に逐次再建されたことが証明された。
東院は天平年間 (729~49) に斑鳩宮の旧構を寺としたもので、天平様式を伝える八角堂の夢殿をはじめ伝法堂、絵殿、舎利殿、回廊、鐘楼、諸門など、平安、鎌倉、室町時代にわたる建築物が集まっている。
これらの仏教建築物の多くは国宝建造物であり、1993年には世界遺産 (文化遺産) に登録された。
また金堂の壁画や、『薬師如来坐像』『釈迦三尊像』 (623) 、『四天王立像』、夢殿の『救世観音』、大宝蔵殿の『百済観音』『夢違観音』などの諸仏像、『玉虫厨子』『橘夫人念持仏厨子』などの寺宝の多くも、国宝に指定されている。
如何でしたか?
どれも有名な建造物ですね。
法隆寺は、2回行ったことがあるのですが、五重塔や金堂以外にも、夢殿など面白い建造物があるので、是非行ってみて下さい!
最後までお読み頂き有難う御座いました!