こんにちは!
今日は、世界三大彫刻家について紹介したいと思います!
世界三大彫刻家に選ばれたのは、
国中公麻呂(くになかのきみまろ)
ペイディアス
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
国中公麻呂
国中公麻呂とは、奈良時代の仏師。
東大寺の大仏の制作に従事した大仏師として知られる。
百済の渡来人、国骨富の孫。
東大寺大仏の制作に大鋳師従五位下の高市傎国と共に従事し、天平宝字5年(761年)には造東大寺司次官。
奈良時代の最高の仏師とされるが、官吏の地位にあったので、仏師としてよりも行政官としての手腕が優れていたとの説がある。
ペイディアス
ペイディアスとは、ギリシアの大彫刻家。
前475~430年頃に活躍したアテネ人で、アゲラダスの弟子。
前447年に始まったパルテノン制作の監督となった。
パウサニアスによれば、代表作にパルテノン神殿の黄金象牙像『アテナ・パルテノス』(前438年完成)及びオリンピアの黄金象牙像『ゼウス坐像』があったが、前者の模刻が現存するのみである。
その他にもアクロポリスにあったと言われる『アテナ・プロマコス』『アテナ・レムニア』『アポロン・パルノピオス』等の模刻がある。
彼が指導したと考えられるパルテノンのフリーズや破風には弟子アルカメネス、アゴラクリトス、クレシラスらの作風が混合している物と思われる。
ミケランジェロ・ブオナローティとは、イタリアの画家、彫刻家、建築家。
1488年にギルランダイオ兄弟の工房に入ったが、翌年からメディチ家の彫刻学校で学び、ロレンツォ・デ・メディチの庇護を受けた。
1492年のロレンツォの死後、ボローニャに滞在。
1496~1501年頃、ローマで『ピエタ』(サン・ピエトロ大聖堂)を制作。
1501~1505年、フィレンツェで『ダビデ』(フィレンツェ・アカデミア美術館)を制作。
1505~1506年、ローマで教皇ユリウス2世の墓碑を制作したが中断、フィレンツェに戻ったが、1508~1512年、再びローマでシスティナ礼拝堂の天井画を制作。
また、城塞構築にも従事。
1533年にはローマでシスティナ礼拝堂の『最後の審判』を制作し、更にサン・ピエトロ大聖堂の大円蓋の設計やカンピドリオ広場を再構成した。
晩年はピエタ像の制作に没頭。
ルネサンスの大画家、古代ギリシア以来の最大の彫刻家として知られ、ペトラルカ風の詩作も試み、死後『詩集』(1623年)が出版された。
如何でしたか?
私は、ミケランジェロしか知りませんでした。
国中公麻呂は、名前は聞いたことがあるかもしれませんが、どんな人かは全然知りませんでした。
彫刻家についても、勉強が必要であると思いました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!