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日本プロ野球のシーズン塁打ベスト3って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、日本プロ野球のシーズン塁打ベスト3について紹介したいと思います!

 

日本プロ野球のシーズン塁打ベスト3とは、

1位:小鶴誠(こづるまこと)

2位:藤村富美男(ふじむらふみお)

3位:ローズ

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

小鶴誠

 

 

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小鶴誠とは、プロ野球選手(外野手:右投右打)。

12月17日、福岡県生まれ。

飯塚商から八幡製鉄(現、日本製鉄)に進み、1942年(昭和17年)、名古屋軍(現、中日ドラゴンズ)に入団したが、1944年から兵役についた。

1946年4月に復員し、すぐに中部日本(中日)で球界へ復帰した。

1948年、急映フライヤーズ(現、北海道日本ハムファイターズ)に移り、新田恭一(ゴルフ選手、野球指導者)と出会い、掬い上げるようにしてボールを飛ばすゴルフスイング理論を開発すると、翌1949年は大映スターズ首位打者に輝いた。

そして、2リーグ分立で結成されたばかりの松竹ロビンスに移った1950年は、51本塁打、161打点で二冠王。

前年に阪神タイガース藤村富美男が樹立した本塁打記録を5本も上回ったばかりか、打点は2007年(平成19年)時点でも破られていないシーズン最多記録である。

しかも打率は藤村に次ぐ2位で、盗塁も28個を記録した。

この活躍で松竹はリーグ優勝し、最高殊勲選手(現、最優秀選手)に選出された。

その風貌と快足を生かしたプレースタイルから、アメリカ大リーグのジョー・ディマジオニューヨーク・ヤンキース)に準えて、「和製ディマジオ」の異名を採った。

1953年、広島カープ(現、広島東洋カープ)に移籍、1958年に現役を引退した。

実働15年間の通算成績は、出場試合1655、安打1717、打率2割8分、本塁打230、打点923。

獲得した主なタイトルは、首位打者1回、本塁打王1回、打点王1回、最高殊勲選手(現、最優秀選手)1回、ベストナイン2回。

1980年(昭和55年)に野球殿堂野球殿堂博物館)入り。

 

 

 

 

 

藤村富美男

 

 

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藤村富美男とは、プロ野球選手(内野手:右投右打)、監督。

8月14日、広島県生まれ。

呉港中(現、呉港高)では1932年(昭和7年)から1935年まで4年連続で夏の甲子園に出場し、1934年には優勝投手となった。

卒業後、大阪タイガース(現、阪神タイガース)結成と同時に入団し、1936年から主力投手となるとともに、登板の無いときには野手として出場する等、投打に活躍、秋季シーズン(1937~1938年は2シーズン制)には本塁打王を獲得した。

その後、肩を壊し1938年の秋季からはほぼ野手に専念。

翌1939年から1942年は兵役についたが、1943年に復帰、1944年以降は4番打者として定着した。

1949年には持ち前の打力を発揮、「物干し竿」と呼ばれた37インチ(約94cm)という普通のものより10cmも長いバットを使いこなし、ホームラン46本、142打点という当時の新記録で二冠王を獲得して最高殊勲選手(現、最優秀選手)に選ばれた。

打率は惜しくも2位で三冠王は逃したが、翌1950年には首位打者に輝き、「ミスター・タイガース」の地位を不動のものとした。

派手なスタンドプレーでファン沸かせる人気者でもあった。

1946年、更に1955年から1956年まで監督を兼任。

1957年は監督専任となり、1958年に現役復帰したが同年限りで引退した。

その背番号10は阪神永久欠番

選手としての実働17年間の通算投手成績は、登板試合76、投球回345と3分の1、34勝11敗、防御率2.34、奪三振183、完投14、完封4。

通算打者成績は、出場試合1558、安打1964、打率3割、本塁打224、打点1126。

獲得した主なタイトルは、首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回、最高殊勲選手(現、最優秀選手)1回、ベストナイン6回。

監督としての通算成績(4年)は、462試合、266勝190敗6分け、勝率5割8分3厘。

1974年(昭和49年)、野球殿堂野球殿堂博物館)入り。

 

 

 

 

 

ローズ

 

 

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ローズとは、プロ野球選手(外野手:左投左打)。

8月21日、アメリカのオハイオ州生まれ。

タフィ・ローズと呼ばれる。

1986年、大リーグ(メジャー・リーグ)のドラフトでヒューストン・アストロズから3巡目に指名されて、ウェスタヒルズ高からプロ入り。

俊足の外野手として期待され、1990年、大リーグにデビューした。

1993年のシーズン途中でシカゴ・カブスにトレードされたが、1994年には史上初となる開幕戦での3打席連続ホームランで注目を浴びた。

1996年(平成8年)、日本に渡り近鉄バファローズ(後の大阪近鉄バファローズ。2005年オリックス・ブルーウェーブに吸収合併されてオリックス・バファローズとなる)へ入団。

最初の3年間はホームラン20本台と2桁盗塁を維持し、4年目の1999年にはホームラン40本と101打点で二冠王となった。

2001年には2回目の本塁打王に輝き、しかも、王貞治に並ぶプロ野球タイ記録(2007年現在)となる55本目を松坂大輔から放ち、日本中を沸かせた。

同年、近鉄は12年ぶりのリーグ優勝、その原動力となったことが評価され、最優秀選手(MVP)にも選ばれた。

2002年は2回目の打点王を、2003年は本塁打王を獲得。

読売ジャイアンツ(巨人)に移籍した2004年はホームラン45本を打ち、セントラル・リーグでも本塁打王となった。

2005年は右肩の故障で不本意な成績に終わった上、審判員に対する暴言で退場させられる等、マナーの悪さへの批判も重なり、シーズン終了後に球団から戦力外通告を受けた。

2006年2月には大リーグ復帰を目指してシンシナティ・レッズマイナー契約を交わすが、オープン戦で結果を残せず、現役引退を発表した。

その後、日本球界への復帰を熱望。

2007年からはオリックス・バファローズでプレーすることとなった。

大リーグでの6年間の通算成績は、出場試合225、安打132、打率2割2分4厘、本塁打13、打点44。

2007年までの日本での通算成績は、出場試合1448、安打1563、打率2割8分5厘、本塁打402、打点1089。

獲得した主なタイトルは、本塁打王4回、打点王2回、最優秀選手(MVP)1回、ベストナイン6回。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

昔の選手の中に、外国人選手であるローズが入っていますね。

村上宗隆がホームランのシーズン56本を放ちましたが、ローズの55本も凄まじい記録ですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!