こんにちは!
今日は、日本海三大古墳について紹介したいと思います!
日本海三大古墳は、丹後三大古墳とも呼ばれます。
日本海三大古墳に選ばれたのは、
銚子山古墳
神明山古墳
蛭子山古墳
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
銚子山古墳
指定名称は「銚子山古墳 第一、二古墳」。
丹後地方では「網野の銚子山」と呼ばれ、福田川東岸の台地先端に築かれており、陪塚である第一古墳(小銚子塚古墳)と第二古墳(寛平法王塚古墳)の2基をあわせて、1922年(大正11)に国の史跡に指定された。
銚子山古墳は京都北部にある最大級の前方後円墳で、前方部を北東に向け、全長198m、後円部の直径約116m、高さ約16m、前方部の幅約75m、高さ約10mの規模を持つ。
外形、立地、出土の埴輪等から4世紀末から5世紀初頭に築造されたもので、古代史における丹後を知る上で重要な意義を持つ。
後円部背後にある第一古墳は全長54m、後円部径34mの帆立貝形の古墳。
前方部前面にある第二古墳は直径22mの円墳で、内部主体は竪穴式石室と推定されるが、現在はその上部に小祠が祀られている。
神明山古墳
丹後半島を貫く竹野川の河口付近に位置する、日本海側では最大級の前方後円墳。
古墳時代中期後半の5世紀に、北東から延びた丘陵の一部を利用して築造され、広大な前方後円墳の前方部は丘陵でその間を掘り切って墳形が造られており、墳丘長は190mである。
前方部は3段に築かれ、中央の括れ部には円形の造り出しがあって、墳丘全面を葺いたと思われる礫が数多く存在する。
当初は海と関係のある豪族の墓と推定されたが、その後、古墳北西にあった潟湖の竹野湖畔に位置し、砂丘で海と隔たっていることが指摘された。
古代の海岸線と平行に築造されて葺石があることから、海上からは白色に輝いて良く目立ち、港の位置を示す標識にもなったと考えられている。
4世紀後半以降は、港との関係で大規模な前方後円墳が各地に現れ、上総や尾張、丹後、伯耆等では、その地域最大の古墳が港との関係で出現した。
このようなことから、丹後王国(丹後政権)論がある。
1923年(大正12年)に国の史跡に指定された。
北近畿タンゴ鉄道宮津線峰山駅から丹後海陸交通バス「丹後庁舎前」下車、徒歩約8分。
蛭子山古墳
丹後地方の野田川流域にあり、前方部を北西方向に向け、規模は全長145m、後円部の直径100m、高さ13m、前方部の幅62m、高さ11m。
後円部の墳頂平坦面は直径27mの円形で、墳丘は3段に築かれ埴輪、葺石の外部施設を持ち、花崗岩製の舟形石棺と多数の遺物が出土した。
築造は4世紀古墳時代前期と推定され、1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。
この古墳は丹後地方では、京丹後市の銚子山古墳、神明山古墳に次ぐ第三の規模を誇る。
出土した舟形石棺は、雄大であるばかりでなく精巧な彫刻が施され、石工技術の上からも注目され、被葬者の支配関係を知る為にも重要な遺品とされている。
如何でしたか?
京都にも古墳がこんなにあるのですね。
古墳と聞くと奈良のイメージが強いですが、各地にあるようですね。
大きい古墳は、近くで見るより上から見た方が壮大ですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!