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元禄三文豪って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、元禄三文豪について紹介したいと思います!

 

元禄三文豪に選ばれたのは、

井原西鶴

近松門左衛門

松尾芭蕉

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

井原西鶴

 

 

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井原西鶴とは、江戸時代前期の俳人浮世草子作者。

本名、平山藤五。

西鶴は俳号。

別号、四千翁、二万翁、松風軒、松寿軒等。

大坂の商家に生まれ、15歳頃から俳諧を学び、21歳で点者となった。

初め貞門に入り、鶴永と号した。

後に談林派に参加。

目新しい風俗詩的傾向により阿蘭陀流と呼ばれ、異端視された。

延宝1年(1673年)の『生玉万句』以来屡々矢数俳諧を催し、貞享1年(1684年)、住吉社頭で一昼夜2万 3500句の驚異的独吟を行った。

傍ら天和2年(1682年)の『好色一代男』以後、浮世草子を次々と発表。

所謂好色物、武家物、町人物、雑話物等を通して、人間生活を赤裸々に描き、以後の小説界に多大の影響を与えた。

代表作『西鶴諸国はなし』『好色五人女』『好色一代女』『男色大鑑』『武道伝来記』『武家義理物語』『日本永代蔵』『世間胸算用』『西鶴置土産』『西鶴織留』等。

 

 

 

 

 

近松門左衛門

 

 

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近松門左衛門とは、江戸時代前期の浄瑠璃、歌舞伎狂言の作者。

本名杉森作左衛門信盛。

号は巣林子、平安堂。

越前吉江藩士であった父が浪人したのを機に上京、堂上貴族の一条恵観、正親町公通らに仕えた。

宇治加賀掾門下を経て、貞享2年(1685年)、竹本義太夫の為に『出世景清』を書き、以後義太夫と組んで活躍。

また坂田藤十郎との提携を通じて、元禄期を代表する歌舞伎『けいせい仏の原』(1699年)、『けいせい壬生大念仏』(1702年)等も書いた 。

元禄 16年(1703年)、初めての世話物浄瑠璃『曾根崎心中』を書き好評を得て、以後浄瑠璃に専念。

時代物、世話物ともに優れ、従来の古浄瑠璃と一線を画した功績は大きく、井原西鶴松尾芭蕉と並ぶ江戸文学界の巨頭。

代表作『けいせい反魂香』(1708年)、『冥途の飛脚』(1711年)、『国性爺合戦』(1715年)、『博多小女郎波枕』(1718年)、『心中天の網島』(1720年)、『心中宵庚申』(1722年)等。

 

 

 

 

 

松尾芭蕉

 

 

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松尾芭蕉とは、江戸時代前期~中期の俳人

本名、宗房。

幼名、金作。

通称、甚七郎または忠右衛門。

別号、桃青、釣月軒、泊船堂、夭々軒、芭蕉洞、風羅坊。

一説に伊賀国柘植の出生と言う。

士分待遇の農家の出身で、伊賀上野の藤堂良忠(蝉吟)に仕え、良忠と共に北村季吟俳諧を学んだ。

寛文6年(1666年)の良忠没後致仕し、一時京都に遊学したとも言う。

同 12年、郷里の天満宮に句合『貝おほひ』を奉納、江戸に下った。

延宝期は談林俳諧に傾倒したが、杉風、其角、嵐雪等の門人もでき宗匠として独立。

延宝8年(1680年)、深川の芭蕉庵に隠棲し、そこで従来の談林の俳風を超えて、蕉風俳諧を創始。

また各地を旅行して『野ざらし紀行』をはじめ『更科紀行』(1688年)、『奥の細道』等、多くの名句と紀行文を残した。

句集は『俳諧七部集』に収められる。

その他、俳文『幻住庵記』(1690年)、日記『嵯峨日記』(1691年)等がある。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

江戸時代を代表する3人の文化人ですね。

この3人が作った作品は今でも重宝されていますね。

日本史で学んだことをきっかけに、このような芸術も勉強していきたいと思います。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!