こんにちは!
今日は、日本三大仇討ちについて紹介したいと思います!
日本三大仇討ちに選ばれたのは、
赤穂事件
鍵屋の辻の決闘
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
赤穂事件
赤穂事件とは、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城・松之大廊下で、高家の吉良義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野長矩が切腹に処せられた事件。
更にその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを討った事件を指すものである。
史実としての本事件を指す用語としては、「赤穂事件」で統一されている。
一方で、歴代の赤穂藩主時代の家中において発生した事件との混同を避ける為、池田家において藩主池田輝興が狂乱し正室等を殺した「正保赤穂事件」、森家において攘夷派が藩政を私物化した家老の森主税を暗殺すると言う「文久赤穂事件」と区別をつけて「元禄赤穂事件」とも呼ばれる。
また、赤穂事件を扱った創作物は、人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』以降、本事件を忠臣蔵と呼ぶことが多い。
講談では赤穂義士伝(或いは単に義士伝)と呼ぶ。
鍵屋の辻の決闘
鍵屋の辻の決闘とは、寛永11年11月7日(1634年12月26日)に渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻(現三重県伊賀市小田町)で討った事件。
伊賀越の仇討ちとも言う。
曾我兄弟の仇討ちと赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの1つ。
また、曾我兄弟の仇討ちに代わって浄瑠璃坂の仇討ちを加えて江戸三大仇討ちとすることもある。
曾我兄弟の仇討ちとは、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を富士野にて討った事件。
赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの1つである。
如何でしたか?
曾我兄弟の仇討ちは、今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれていましたね。
また、赤穂事件は、過去に何度も大河ドラマの題材になっており、今なお時代劇の中でも人気を誇っているようですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!