こんにちは!
今日は、三聖(歌聖)について紹介したいと思います!
三聖(歌聖)に選ばれたのは、
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
山部赤人(やまべのあかひと)
衣通姫(そとおりひめ)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
『万葉集』中の年代を明記した歌によると、持統3年(689年)から文武4年(700年)まで作歌活動をしている。
下級官吏として天皇や諸皇子に仕え、その歌才の故に宮廷歌人的な役割も果していたようで、官命によって地方を旅行したり、地方官になったこともあると考えられている。
『万葉集』に署名の見えるものとして長歌18首、短歌 68首(「或本歌」等を含む。なお異説もある)を残す。
作品は、伝統を踏まえた上で独創的であり、時代の精神を体現しつつかつ個性的で、その自由で華やかな修辞、力強く重厚な詠風等によって『万葉集』中第1の歌人と認められている。
尚、『万葉集』には『柿本朝臣人麻呂歌集』から採録した歌373首があり、この中にも柿本人麻呂の作があると考えられているが、具体的な作品については説が分かれている。
『万葉集』により、神亀1(724年)から天平8年(736年)までの生存が明らか。
国史に名を留めず、下級の官僚と思われる。
聖武天皇の行幸に従駕しての作が目立ち、一種の宮廷歌人的存在であったと思われるが、他に諸国への旅行で詠んだ歌も多い。
長歌、短歌ともに整斉された端正な調べに特徴を持つが、長歌は、柿本人麻呂の影響下にあってそれを抜きえず、空疎とも評される。
これに対して短歌、ことに自然を詠んだ作は全く新しい境地を開き、第1級の自然歌人、叙景歌人と評される。
衣通郎姫とも言う。
皇后忍坂大中姫の妹。
艶色が衣を通し照り輝いたから、こう呼ばれた。
皇后の妬みを恐れ河内に姿を隠した。
美貌で和歌に優れ、和歌山市の和歌浦にある玉津島神社に祀られる。
『古今集』序に記され、以後長く美人の例に引かれ、多くの文学の題材となった。
如何でしたか?
三聖には、書道と和歌の2つがあるのですね。
衣通姫という人物は、初めて知りました。
和歌というのは、古文の学習でも、かなり苦しんだ印象があります。
最後までお読み頂き有難う御座いました!