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兵法三大源流って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、兵法三大源流について紹介したいと思います!

 

兵法三大源流に選ばれたのは、

愛洲陰流(あいすかげりゅう)

天真正伝神道流(てんしんしょうでんしんとうりゅう)

念流(ねんりゅう)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

愛洲陰流

 

 

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愛洲陰流とは、愛洲移香を祖とする剣術の流派。

単に陰流もしくは影之流とも言う。

この流は1487年(長享1年)に移香の創始以後、次第に九州各地に広がり、当時朝鮮半島・中国沿岸で猛威を振るった倭寇の間にもこれを習得するものがあった。

倭寇の刀術は明人の脅威であったらしく、その討伐に名声を馳せた戚継光が編集した兵書『紀効新書』(1584年)には、自ら嘉靖40年(1561年)に陣中の倭人から獲得したとして、「影流之目録」(猿飛の巻)の断簡を模刻している。

次いで天啓4年(1624年)に作られた茅元儀の『武備志』にも前記の目録と猿による刀法の図解7つが載せられている。

一方、移香の長子小七郎宗通によって関東に齎された陰流は、上泉伊勢守秀綱の新陰流となり、更に柳生新陰流疋田陰流、タイ捨流等、多くの分派を生み、全国に広がった。

 

 

 

 

 

天真正伝神道

 

 

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天真正伝神道流とは、室町時代に起こった刀槍の術の源流的流派で、香取社に所縁が深いので香取神道流と言い、単に神道流とも言う。

流祖の飯篠長威斎家直は、下総国香取郡飯篠村(千葉県多古町大字飯篠)の郷士で、幼少より刀槍の術に優れ、壮年の頃に上洛して将軍足利義政に仕えたと伝え、山城守、後伊賀守と称した。

家直は60歳を超えて、この術を天下に現さんと志し、香取社域の南東隅にある梅木山不断所に一千日参籠し、日夜木刀を振って庭前の立木を撃刺し、遂に数百の形を考案し、一流を編み出したと言う。

古来より武神を祀る香取・鹿島の社家・神人の集団には、各種の武芸が伝承されてきたと言われ、この神道流は、これらを刀槍の術を中心に体系化することに成功したものである。

軍法、剣術、薙刀、槍法、抜刀、棒術等を包括する総合武芸で、近世諸流派の先駆的役割を担った。

その門人に、剣術では松本備前守政信や塚原土佐守安幹(塚原卜伝の養父)らを、また門流には塚原卜伝鹿島新当流の祖)、松岡兵庫助則方、有馬大和守乾信(有馬流の祖)、諸岡一羽等を輩出した。

また嗣子の飯篠若狭守盛近は家芸を受けて、とくに槍術の達人として知られ、ついで飯篠盛信、飯篠盛綱と継いで、飯篠盛綱の門に、新道流長太刀(穴沢流)を唱えた穴沢主殿助(雲斎)を出し、その門に、樫原流槍術を始めた樫原五郎左衛門俊直を出している。

なお幕末の15代飯篠修理亮盛重は剣名高く、流名を香取神刀流と称した。

 

 

 

 

 

念流

 

 

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念流とは、神道流、陰流と並ぶ中古剣術流派の1つ。

流祖は念阿弥慈恩

念和尚の伝記には種々の説があるが、通説では奥州相馬の人、相馬四郎左衛門忠重の子、俗名義元のこととし、7歳の時、父が非業の死を遂げた為、相州藤沢の遊行上人の弟子となり、10歳京都に上って鞍馬で剣の手解きを受け、16歳鎌倉に下って寿福寺の神僧栄祐に秘伝を授与され、その後も廻国修行を重ね、筑紫の安楽寺に至って、遂に剣の奥義を感得したと言う。

2代の赤松三首座慈三は、遠州の人とも慈恩の舎弟とも言い、信州伊那谷の波合で1397年(応永4年)5月、相伝を受けたと伝える。

更に3代の小笠原東泉坊甲明は、教授の体系を『念流正法兵法未来記』入門巻・獅子巻・虎之巻・象之巻・龍之巻の5巻に纏め上げた。

越えて1578年(天正6年)、6代小笠原左衛門尉氏重の伝を受けた越前白山の人、友松六左衛門氏宗(清三入道偽庵)は諸国を歴遊中、上州多胡郡馬庭村(群馬県高崎市)の郷士樋口又七郎定次に巡り会い、その執心鍛錬に対し、1598年(慶長3年)、唯授一人の奥秘を伝授している。

この定次が馬庭念流の祖で、高崎城下で天流の村上某と試合して勝ち、その名声を高めた。

その後、泰平の世で沈滞を続けたが、享保の改革を機に13代十郎兵衛将定の努力によって再興、14代定嵩の時、江戸・京橋に道場を開き、その実用的な剣技に老中松平定信の賞詞を受け、また18代定尹は徳川斉昭に招かれて矢留の秘術を披露し、水戸藩への出入りを許された。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

歴史において、刀槍術に優れた人物は何人も登場して来ますが、流派が登場する機会は中々ないので、勉強になりました。

それぞれの流派の特徴についても知りたいと思いました。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!