こんにちは!
今日は、三聖(書聖)について紹介したいと思います!
三聖(書聖)に選ばれたのは、
菅原道真(すがわらのみちざね)
小野道風(おののみちかぜ)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
弘法大師と言われる。
姓は佐伯氏、幼名は真魚。
15歳で上洛。
18歳の時、大学寮に入り官吏としての学問を修めたが、仏教に転じて、儒教、道教を離れた。
仏教に転じたその思索の過程を記して『聾瞽指帰』(後『三教指帰』と称される)を著わした(797年)。
遣唐使と共に入唐(804年)。
青竜寺の恵果阿闍梨の元で密教の伝授を受け、諸地を巡り、文献や法具を携え帰朝(806年)。
その後約1年間、筑紫の観世音寺に留まり、大同4年(809年)には高雄山寺を本拠に布教を開始し、最澄らに灌頂を授けている(812年)。
弘仁7年(816年)には高野山を開き金剛峰寺を建立し、弘仁14年(823年)に東寺を天皇より与えられ、以後高野山と東寺を中心とした宗教活動を行なった他、様々な社会福祉事業も手掛けた。
また綜芸種智院を創立(828年)。
高野山にて入寂した。
その思想の特色として、顕教に対する密教を確立した点、即身成仏の思想、十住心の段階を述べて菩提心の展開を明かしたこと等が極めて重要である。
空海は諸芸に優れていたという伝説があり、実際彼の在世中には密教彫刻や仏画、法具類が多数制作され、その一部は東寺や高野山等に伝来する。
しかし、空海自身の手になる遺品としては書跡のみである。
三筆の1人として書家としての名声は極めて高く、顔真卿流の書風が特色で、『風信帖』、神護寺の『灌頂歴名』、仁和寺の『三十帖策子』等の自筆が現存する。
主著『秘蔵宝鑰』『弁顕密二教論』『十住心論』『即身成仏義』。
その著書の全ては『弘法大師全集』(16巻)に収められている。
是善の子。
母は伴氏。
右大臣。
従二位。
大宰権帥。
菅公と言われる。
貞観4年(862年)、文章生。
寛平3年(891年)、蔵人頭。
寛平6年(894年)、遣唐大使となったが、彼の意思によって中止された。
その後、権大納言を経て昌泰2年(899年)、右大臣となったが、昌泰4年(901年)、藤原時平の為に大宰府に左遷された。
編書『日本三代実録』『類聚国史』、詩文書『菅家文草』『菅家後集』がある。
後世、天神として尊崇された。
「とうふう」とも読む。
三跡の1人。
若い時から能書の誉れ高く、宮廷の障子、屏風に筆を振るい、66歳の時、天徳詩合の清書をして「能書之絶妙也、羲之再生」と称賛された。
穏やかな格調の整った書風は、中国の書風から離れて日本化された和様の典型であり、上代様の完成の基礎を作った功績は大きい。
遺墨には、延長5年(927年)の『円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書』 (国宝、東京国立博物館) 、延長6年(928年)の『屏風土代』 (宮内庁三の丸尚蔵館) 、『玉泉帖』(928年)、『三体白氏詩巻』(国宝)等がある。
伝称作品として著名なものは『継色紙』『本阿弥切』『秋萩帖』等。
如何でしたか?
三聖という括りがあるのは、初めて知りました。
三筆にも三跡にも入っていないのは、菅原道真ですね。
学問の神様として、天満宮で祀られており、受験祈願の地として有名かもしれないですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!