こんにちは!
今日は、日本四大軍港都市について紹介したいと思います!
日本四大軍港都市に選ばれたのは、
横須賀市(神奈川県)
の4つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
舞鶴市とは、京都府北部、若狭湾の支湾である舞鶴湾に面する市。
1938年舞鶴(西)と東舞鶴とが同時に市制を施行、1943年両市が合体して、今日の舞鶴市が発足。
西舞鶴は江戸時代牧野氏の城下町、西廻航路の港町として発展。
中舞鶴には 1901年海軍鎮守府が設置され、また東舞鶴には軍関係の諸施設が置かれ、軍都として栄えた。
第2次世界大戦後、軍関係の施設や用地が民間の工場に転用され、造船、車両、板ガラス、繊維などの工場ができ、工業都市としての性格を深めている。
海上自衛隊地方総監部がある。
松尾寺の普賢延命像は国宝。
冠島のオオミズナギドリ繁殖地は国の天然記念物。
海岸部は丹後天橋立大江山国定公園と若狭湾国定公園に属する。
北近畿タンゴ鉄道、国道27号線、178号線が通る。
面積 342.12㎢。
人口 8万3990(2015)。
1902年市制。
1928年吉浦町、警固屋 (けごや) 町、阿賀町の3町、1941年広村、仁方 (にがた) 町、1956年天応町と昭和村、郷原村の2村、2003年下蒲刈町、2004年川尻町、2005年音戸町、倉橋町、蒲刈町、安浦町、豊浜町、豊町の6町をそれぞれ編入。
中心市街地の呉は 1889年海軍鎮守府が設置され、海軍工廠ができてから、軍港として急速に発展。
第2次世界大戦時には人口 40万をこえたが軍施設は集中的な戦火により壊滅した。
戦後、産業港湾都市として再出発、1948年貿易港の指定を受け、1950年旧軍港市転換法の成立もあり海軍工廠跡や臨海地区に造船、製鉄、製鋼、機械、パルプなどの大企業が進出して臨海工業地域を形成。
県下有数の工業生産額を誇る。
呉港は瀬戸内海航路の要地。
倉橋島、上蒲刈島、大崎下島などの島々ではミカンの栽培、カキやノリの養殖が盛ん。
伝統産業としては、仁方のやすりが全国生産のほとんどを占めるほか清酒醸造や天応の万年筆、吉浦の砥石などがある。
呉市街地の南に入船山記念館、広に石泉塾跡がある。
北部の野呂山、二級峡、南部の休山 (やすみやま) 一帯と、倉橋島、大崎下島などの一部は瀬戸内海国立公園に属する景勝地。
JR呉線のほか国道 31号線、185号線、375号線が通り、1961年には対岸の倉橋島との間に音戸大橋が建設され、国道 487号線が通じている。
本土の呉、阿賀、仁方と広島、松山、今治などを結ぶ定期船が就航しており、各島も経由している。
面積 352.8㎢。
人口 22万8552(2015)。
横須賀市とは、神奈川県南東部、三浦半島の主要部を占める中核市。
1907年市制。
33年衣笠村、田浦村、37年久里浜村、43年浦賀、逗子、長井、大楠の4町と北下浦村、武山村をそれぞれ編入。
須賀は砂州を指し、横に長く広がる地形が地名の由来とされる。
三浦丘陵が市域の大部分を占め、平地は海岸と平作川の谷沿いに開ける。
海岸は湾入が多く、東岸は東京湾の出入口にあたるため、横須賀港湾では長浦、小川、安浦、浦賀、久里浜などの港が発達している。
浦賀と久里浜は江戸時代末に日本とアメリカの外交折衝の場となった。
横須賀港および長浦港には慶応1 (1865) 年横須賀製鉄所が建設され、明治に入ると海軍鎮守府、海軍工廠もおかれるなど軍港として発展。
第2次世界大戦までに東岸の全域および西岸の小田和湾一帯にわたって軍事施設が拡大され、市街も軍施設を中心に形成された。
戦後軍施設の跡地に自動車、造船、化学などの重工業が発達、工業都市として発展している。
市街地は東京湾沿いに延びるが、東京、横浜の衛星都市として背後の丘陵では宅地の造成が急速に進んでいる。
南部と西部には自然が残り、大楠山、武山のハイキングコース、三浦海岸の海水浴場などがある。
横須賀港の背後には史跡アダムズ (三浦按針) の墓を中心とした塚山公園、夏島貝塚 (史跡) 、平作川右岸の丘陵には中世豪族三浦氏の城址を中心とする衣笠公園がある。
JR横須賀線、京浜急行電鉄本線、久里浜線、国道 16号線、134号線が通り、横浜横須賀道路の横須賀、衣笠、佐原インターチェンジがある。
面積 100.83㎢。
人口 40万6586(2015)。
佐世保市とは、長崎県北部、北松浦半島南部に位置し、佐世保湾、大村湾に臨む市。
東部で佐賀県に接する。
1902年市制施行。
1954年黒島村、柚木村、1955年折尾瀬村、江上村、崎針尾村、1958年宮村をそれぞれ編入。
2005年世知原町、吉井町、2006年宇久町、小佐々町、2010年江迎町、鹿町町を編入。
中心市街地の佐世保は明治初期には一寒村にすぎなかったが、1886年に海軍基地、1890年に海軍工廠が設置され、さらに炭鉱の開発、鉄道の開通によって急速に発展した。
第2次世界大戦後も旧海軍基地にアメリカ軍基地、自衛隊基地が置かれ、依然基地の町の性格が強い。
炭鉱は最盛期には 23を数えたが、1972年完全に閉山。
北部には北松炭田があった。
旧海軍工廠は民間の大造船企業、佐世保重工業となり、市の基幹産業となった。
旧海軍跡地の針尾島工業団地など、市周辺では工業団地の造成が進み、食品加工業などが発達。
早岐瀬戸にある早岐は市の南の玄関口で、工業団地、住宅団地が多い。
相浦地区の真申(まさる)には火力発電所や工業団地がある。
三川内(みかわち)では伝統の平戸焼が生産される。
島嶼部や沿岸部では一本釣りや養殖漁業が行われる。
小佐々ではいりこを特産。
アワビなどの摂取特権がある海士(あま)の集落がある。
瀬戸越の泉福寺洞穴遺跡、吉井の福井岩陰、鹿町の大野台支石墓群は国指定史跡。
南西沖の黒島(2018世界遺産の文化遺産に登録)には江戸時代の潜伏キリシタンの史跡が点在する。
中心市街地周辺の弓張岳、烏帽子岳、石岳は平戸島、九十九島(くじゅうくしま)、五島列島などを望む好展望地。
石岳中腹には 1961年に開園した佐世保市亜熱帯動植物園がある。
1992年大村湾に面した針尾島の埋立地にハウステンボスが開園。
九十九島一帯は宇久島とともに西海国立公園に、市の北部は北松県立自然公園に属する。
JR佐世保線、大村線、松浦鉄道のほか国道35号線、202号線、204号線などが通り、西九州自動車道のインターチェンジがある。
針尾島の南端には西海橋がかかり、西彼杵半島と陸上交通で結ばれる。
佐世保港から宇久島まではフェリーで結ばれ、鹿子前(かしまえ)から九十九島、平戸島などへ遊覧船が発着する。
面積 426.06㎢。
人口 25万5439(2015)。
如何でしたか?
戦前の旧軍港で、現在は海上自衛隊の基地がある4つの都市ですね。
私は、舞鶴市と呉市には行ったことがないので、機会があれば行ってみたいと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!