こんにちは!
今日は、日本五大工場夜景エリアについて紹介したいと思います!
日本五大工場夜景エリアに選ばれたのは、
の5つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
室蘭市とは、北海道南西部、内浦湾湾口の東部にある市。
胆振総合振興局所在地。
1922年、市制。
地名はアイヌ語でモルエラン(ゆるやかな下り坂の意)に由来。
慶長1年(1596年)頃、運上屋が設置され、入植が始まった。
三方を丘陵に囲まれ、水深の深い天然の良港を持つ為、早くから開け、寛政8年(1796年)、イギリス人のウィリアム・R.ブロートンが海図作成の為に来航した。
19世紀末から夕張炭田の石炭積出港となり、1907年に大規模な製鉄所が設置され、急速に工業化した。
造船、石油精製、セメント等の大工場も立地し、1964年、新産業都市に指定された。
室蘭港は国際拠点港湾。
郊外では畑作中心の農業や畜産も行われる。
北西部の白鳥台には大規模な住宅地が造成されている。
JR室蘭本線、国道36号線、37号線、道央自動車道が通り、青森、八戸、大洗等への長距離フェリーの便がある。
面積 80.88㎢。
人口 8万8564人(2015年)。
川崎市とは、神奈川県北東部、多摩川下流右岸、多摩丘陵と多摩川の沖積地にある市。
1924年、市制。
1972年、政令指定都市となり川崎区、幸区、中原区、高津区、多摩区の 5区を設置。
1982年、高津区から宮前区が、多摩区から麻生区がそれぞれ分区して 7区となった。
地名の由来は、中世、河崎冠者基家が開いた荘園名に因むとする説等、諸説がある。
江戸時代には、東海道に沿う旧川崎町をはじめ矢倉沢往還の溝口、中原街道の小杉等が宿場町、市場町として賑わった。
明治末東京湾岸を埋め立てて工場用地の造成が始まり、ことに関東大震災後は大工場の進立が目立った。
第2次世界大戦中には、内陸部へも工場地域が広がり、京浜工業地帯の中核となった。
工業生産額は日本有数。
石油コンビナート、製鉄、機械、化学、セメント等の大工場が臨海地域に、電機、自動車、機械、金属等の工場が内陸に多い。
北西部の丘陵地では畑作と果樹栽培が行われていたが、東京急行電鉄東横線及び田園都市線、小田急電鉄小田原線及び多摩線、京浜急行電鉄で東京と結ばれた為に、宅地化が進み、特に 1950年代からは大規模な住宅団地が造成されて人口が急増。
平間寺(川崎大師)は厄よけ大師として全国的に有名である。
よみうりランド、日本民家園等がある。
JR東海道本線、京浜東北線、横須賀線、南武線、鶴見線、国道1号線(第二京浜道路)、15号線(第一京浜道路)、132号線、246号線、409号線が通る。
首都高速道路、第三京浜道路、東名高速道路が通り、数ヶ所のインターチェンジがある。
面積 143㎢。
人口 147万5213人(2015年)。
1897年、市制。
第2次世界大戦までに富田町等、近隣の2町7村を編入、市域を拡大。
1954年、小山田村、川島村、神前村、桜村、三重村、県村、八郷村、下野村、大矢知村、河原田村の 10村、1957年、水沢村、保々村と三鈴村の一部をそれぞれ編入。
2005年には楠町を編入した。
中部から沿岸部は伊勢平野の沖積地、背後は洪積台地で、西部は鈴鹿山脈東斜面となる。
文明2年(1470年)、田原忠秀が浜田に築城、城下に市を開いたのが起源で、弘治年間(1555~1558年)の頃から毎月四の付く日に市が立つようになり市場町として発展。
江戸時代には東海道の宿場町となり、桑名とともに熱田との間の海上路の拠点でもあった。
鉄道時代になって路線から外れ一時寂れたが、1888年、地元資本により私鉄関西鉄道(現 JR関西本線)が設立され、工場誘致に努め、工業都市への転換が図られた。
第2次世界大戦までは紡績と陶磁器が主であったが、戦後日本最大規模の石油化学コンビナートが立地。
1963年からは北部埋立地に立地した午起コンビナートも加わり、総面積 600万㎡の大規模コンビナートとなった。
また、四日市港は 1899年、開港場の指定を受け国際貿易港として発展、中京工業地帯への石油、羊毛の輸入港、鈴鹿市で産する自動車、オートバイの輸出港として重要となった。
農業では米作の他、茶や花卉等の栽培が行われる。
広古墳群をはじめ旧跡、古社寺も多く、東阿倉川のイヌナシ自生地、西阿倉川のアイナシ自生地、御池沼沢植物群落はそれぞれ国の天然記念物。
海岸部を国道 23号線が通る他、近畿日本鉄道名古屋線、西部に東名阪自動車道が通じる。
面積 206.44㎢。人口 31万1031人(2015年)。
北九州市とは、福岡県北東部、周防灘、関門海峡、響灘に面する市。
1963年、門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の 5市が合体し、日本で 7番目の政令指定都市となった。
当初は合体した各市がそのまま区制を敷き、門司区、小倉区、若松区、八幡区、戸畑区となったが、1974年、小倉区を小倉北区と小倉南区に、八幡区を八幡東区と八幡西区に分区して 7区とした。
市の歴史は慶長7年(1602年)、細川忠興が小倉に城を築いたことに始まる。
明治中期までは小倉と港宿場町黒崎(今日の八幡西区、江戸時代は福岡藩領)の他は寒村であったが、筑豊炭田の開発と八幡製鉄所の設置以後、都市化と工業地帯化が急速に進み、日本の重化学工業の発展に大きな役割を果たすとともに、中国大陸、朝鮮半島への基地として、国の保護政策の下で経済的基礎を確立してきた。今日では関門海峡から洞海湾にかけて約 30km
に渡り市街地が続き、重化学工業を主とする北九州工業地域を形成している。
瀬戸内海国立公園に属する和布刈公園をはじめ、関門橋、若戸大橋、小倉城、北九州国定公園に含まれる国の天然記念物の平尾台や千仏鍾乳洞、更には夜宮の大ケイ化木がある他、帆柱自然公園、高塔山等、景勝地が多い。
また、北部の海岸線の一部は玄海国定公園に属する。
2015年、官営八幡製鉄所関連施設が世界遺産の文化遺産に登録された。
国道3号線、199号線、北九州都市高速4号線、九州自動車道、山陽新幹線、JR鹿児島本線、日豊本線、日田彦山線等が通る。
面積 491.95㎢。
人口 96万1286人(2015年)。
2003年、徳山市、新南陽市、熊毛町、鹿野町の 2市 2町が合体して成立。
市名の周南は古くから周防国の南部を示す言葉として使われ、瀬戸内海を臨む広い地域を示す。
中心市街地の徳山は毛利氏の城下町として繁栄、明治維新以後一時衰微したが、1904年に海軍煉炭所(後の燃料廠)が設置されてから活況を取り戻した。
第2次世界大戦で壊滅的な被害を受けたが、戦後は燃料廠跡に製油所が建設されたのをはじめ、ソーダ、セメント、鉄鋼等の工業が復興、新南陽にかけて石油化学コンビナートが成立。
徳山下松港は 1965年に特定重要港湾に、2011年に国際拠点港湾に指定された県下一の工業地域。
農業では米、茶、山葵、椎茸を産する他、近年は梨、葡萄等、果樹栽培も行われる。
北部八代高原のナベヅル及びその飛来地は国の特別天然記念物。
須々万の大玉スギは国の天然記念物に指定。
地域の一部は瀬戸内海国立公園に属する。
山陽自動車道、中国縦貫自動車道をはじめ、国道2号線、188号線、315号線等、道路網も整備されている。
面積 656.29㎢。
人口 14万4842人(2015年)。
如何でしたか?
工場の夜景が綺麗なエリアは意外と沢山あるのですね。
私は京浜工業地帯の夜景は見たことがありますが、本当に綺麗でした。
最後までお読み頂き有難う御座いました!