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開港五都市って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、開港五都市について紹介したいと思います!

 

開港五都市に選ばれたのは、

函館

新潟

横浜

神戸

長崎

の5つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

函館

 

 

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函館とは、北海道南西部、渡島半島南東部の亀田半島の大半を占め、津軽海峡に臨む中核市

渡島総合振興局の所在地。

1922年、市制。

1939年、湯川町、1966年、銭亀沢村、1973年、亀田市を編入

2004年、戸井町、恵山町椴法華村南茅部町編入

中心市街地は函館平野の東部を占め、西部は函館湾に面する。

安政6年(1859年)、前年に結ばれた安政5ヶ国条約により貿易港として開港。

1908年、鉄道連絡船の就航により船車連絡港、更に北洋漁業の基地として発展した。

港湾商工都市。

北洋母船式漁船団の集結港として知られているが、漁業制限水域の拡大に伴ってその機能低下が著しい。

渡島半島を商圏とし、工業は造船、石油精製、化学肥料、漁具、漁網、水産加工等の業種が立地。

亀田半島沿岸の漁業集落ではイカ釣り、コンブ漁が行われる。

中心市街地は道南の観光基地で、昼夜の展望に優れた函館山の他、船見町の外国人墓地、元町の旧函館区公会堂、ハリストス正教会、青柳町函館公園市立函館博物館、住吉町の住吉町遺跡等、函館山麓の山手には数多くの歴史的建物と異国情緒豊かな古い町並みが残存している。

尚、北郊には国の特別史跡五稜郭跡、国指定史跡の四稜郭が、東部には国指定史跡の志苔館跡がある。

湯川にはトラピスチヌ修道院トラピスト修道院の女子部)や湯の川温泉がある。

南茅部では数多くの縄文遺跡が確認され、国指定史跡の大船遺跡と垣ノ島遺跡は、2021年、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産文化遺産に登録された。

市の北部から東部にかけての地域は恵山道立自然公園に指定されている。

JR函館本線の起点。

国道5号線、228号線、278号線等が通る。

面積 677.86㎢。

人口 26万5979人(2015年)。

 

 

 

 

 

新潟

 

 

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新潟とは、新潟県中部、信濃川阿賀野川下流域の新潟平野に広がる市。

1889年、市制。

1954年、松ヶ崎浜村、南浜村、濁川村、坂井輪村の 4村、1957年、大江山村、曽野木村、両川村の 3村、1960年、内野町、1961年、赤塚村、中野小屋村の 2村、2001年、黒埼町をそれぞれ編入

2005年3月、白根市豊栄市新津市、小須戸町、横越町、亀田町、西川町、岩室村、味方村、潟東村、月潟村、中之口村の 3市 4町 5村を、更に10月巻町を編入

2007年、政令指定都市に移行し、北区、東区、中央区江南区秋葉区、南区、西区、西蒲区の 8区を設置した。

元和2年(1616年)、港を開設。

寛文12年(1672年)、奥羽米回送の寄港地に指定されて繁栄した。

安政5年(1858年)、日本海岸唯一の開港場となり、以来貿易港として発展。

明治4年1871年)、廃藩置県により新潟県庁を設置。

県政の中心地となり、明治末期からは油田開発に伴う工業の発展で工業都市の性格も加えた。

1955年の新潟大火、1964年の新潟地震後は堀も埋め立てられ、近代都市として躍進。

1964年、新産業都市に指定され、その一環として新潟東港を開港し、東新潟地区は石油、化学、鉄鋼、機械を総合した重化学コンビナートを形成、県下最大の臨海工業地域となっている。

また古くから織物業が盛んで、綿織物の葛塚縞、小須戸縞は有名。

仏壇の生産も多い。

農村部は穀倉地帯をなし、中西部の旧潟湖鎧潟は文政年間(1818~1830年)より干拓が始まり、現在は大型機械化農業のモデル地区となっている。

河川の自然堤防上や砂丘地ではモモ、ブドウ、ナシの果樹園芸、チューリップ、ヒヤシンスの球根等、花卉園芸が行われる。

1972年、関屋に信濃川の分水路を完成し、長年の水害との戦いに終止符を打った。

菖蒲塚古墳、古津八幡山遺跡(ともに国指定史跡)、旧新潟税関庁舎(国指定史跡及び重要文化財)、旧笹川家住宅、新潟県議会旧議事堂、萬代橋、種月寺本堂(以上、国指定重要文化財)等の文化財がある。

鳥屋野逆ダケの藪、月潟の類産梨は国の天然記念物。

市域の一部は佐渡弥彦米山国定公園に属し、南西部の岩室には国民保養温泉地の岩室温泉がある。

上越新幹線、JR信越本線羽越本線磐越西線越後線白新線国道7号線、8号線、49号線、113号線、116号線、402号線、403号線、460号線等が通じる。

中心部の新潟中央ジャンクション北陸自動車道磐越自動車道日本海東北自動車道が結節。

北部の日本海沿岸に新潟空港がある。

面積726.45㎢。

人口 81万157人(2015年)。

 

 

 

 

 

横浜

 

 

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横浜とは、神奈川県東部,東京湾に面する市。

多摩丘陵南東部を占め、鶴見川、帷子川、大岡川等に沿って沖積地がある。

1889年、市制。

1956年、政令指定都市

鶴見区神奈川区、西区、中区、南区、保土ヶ谷区磯子区金沢区港北区、戸塚区、港南区、旭区、緑区瀬谷区栄区泉区青葉区都筑区の 18区から成る。

県庁所在地。

地名の由来には諸説があるが、半島状の砂浜が横に長く延びた地形に由来する等と言われる。

東京(区部)に次ぐ人口を擁し、輸出入高が日本で 1位の大貿易港を持つ。

江戸時代は農漁村地域で、東海道沿いに神奈川、保土ヶ谷、戸塚の 3宿場町があった。

安政6年(1859年)、横浜港の開港により関内には貿易関連施設が立地し、本牧岬には住宅地が形成される等、急速に発展。

関東地震、第2次世界大戦で大きな被害を受け、戦後はアメリカ軍に港湾施設や広大な土地を接収された。

しかし、戦後の復興は目覚ましく、国際港湾都市工業都市として飛躍的に発展した。

大正期に始まる鶴見地区の埋め立てに加えて、第2次世界大戦後は磯子地区でも埋め立てが進み、鉄鋼、造船、化学、石油精製等、重化学工業の大工場が立地する。

横浜港は鶴見川河口から根岸湾を経て八景島に及び、大埠頭が連なるとともに、湾岸の道路、鉄道、運河も整備されている。

また、横浜駅東口から桜木町にかけての臨海部に、みなとみらい21地区を建設。

市街地は海岸一帯から内陸に広がっている。

関内には、官庁、会社等が集中。

繁華街としては野毛町、伊勢佐木町、中華街、元町等が知られるが、1950年代後半から横浜駅西口の発達が目覚ましく、また1970年代からは駅東口も急速に発展し、横浜駅周辺は市最大の繁華街を形成。

関内は明治期の史跡があり、山手町は外国人居留地の雰囲気と港の展望に優れ、ともに観光客が多い。

山下公園港の見える丘公園、横浜ベイブリッジランドマークタワー三渓園曹洞宗総本山総持寺等の名所がある。

西部の丘陵地は鉄道で東京と直結される為、宅地造成が盛んで、人口増加が著しい。

鉄道網、道路網が充実している。

面積 437.49㎢。

人口 372万4844人(2015年)。

 

 

 

 

 

神戸

 

 

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神戸とは、兵庫県南東部、大阪湾に臨み、後背の六甲山地及び周辺の丘陵、台地に広がる市。

県庁所在地。

1889年市制。

以後周辺の町村を編入して市域を拡大。

1956年、政令指定都市

東灘区、灘区、兵庫区、長田区、須磨区垂水区、北区、中央区、西区の 9区から成る。

兵庫区和田岬から旧湊川河口の川崎にかけての浜は奈良、平安時代には大輪田泊、後に兵庫津として知られ、慶応3年(1867年)の開港で貿易港として発達。

市街化は兵庫津周辺から始まり、1874年の鉄道開通に伴い神戸駅周辺に、更に元町駅(旧三宮駅)周辺を経て、1931年に新設された新三宮駅付近に移った。

第2次世界大戦後、三宮地区に市役所、国際会館等の公共施設の建設が相次ぎ、市の中心部として発展した。

工業は東部の御影、住吉等での灘の清酒醸造で知られ、近代工業は開港を契機として港周辺に造船、製鉄、車両、電機、ゴム等の工業が興り、戦後、埋立地の造成により重化学工業化が一層促進された。

他方、宅地化は渦ヶ森山(385m)、鶴甲山(327m)、高倉山(291m)等の六甲山前山の土砂採取跡地の利用と、裏六甲一帯の丘陵地の開発が目立ち、山容は大きく変わった。

神戸丸山衝上断層は国の天然記念物。

瀬戸内海国立公園に属する六甲山、有馬温泉、須磨、舞子ノ浜の景勝地に加え、源平古戦場、湊川古戦場等、源平、楠公父子所縁の名所、旧跡も多い。

処女塚古墳、五色塚古墳(千壺古墳)、小壺古墳は国の史跡に指定。

太山寺本堂は国宝建造物。

異人館が集中する北野一帯は観光客に人気がある。

大阪湾沿岸に大阪ベイエリア開発の一環として、ポートアイランドの拡張と六甲アイランドの開発が行われた。

1990年、神戸新交通六甲アイランド線(六甲ライナー)が開業。

東海道新幹線をはじめとする幹線鉄道、道路が海岸部を通る。

1995年の兵庫県南部地震では東灘区、灘区、中央区兵庫区、長田区等の市街地と港湾施設が甚大な被害を受けた。

面積 557.02㎢。

人口 153万7272人(2015年)。

 

 

 

 

 

長崎

 

 

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長崎とは、長崎県南部、西彼杵半島の南部から長崎半島を占める中核市

南東で橘湾、南西で長崎湾、北東で大村湾に面し、池島、香焼島伊王島、高島、樺島等の島を含む。

県庁所在地。

1889年、市制。

1955年、深堀村、福田村、日見村の 3村、1962年、茂木町と式見村、1963年、東長崎町、1973年、三重村、2005年、香焼町伊王島町高島町野母崎町三和町外海町の 6町、2006年、琴海町をそれぞれ編入

中心市街地は狭小な中島川及び浦上川の流域を占め、住宅は山腹から山頂の平坦面に及んでいる。

元亀2年(1571年)、ポルトガル船の入港以降、海外貿易港として急速に発展。

鎖国の間も日本における唯一の開港場として繁栄した。

江戸時代は天領

幕末に始まった造船業三菱財閥に引き継がれ(2015年、世界遺産)、1955年頃のタンカー全盛期には世界随一の進水量を誇り、多くの関連工場群を立地するが、造船不況で機械器具等の部門への転換が進んでいる。

長崎漁港は西日本最大規模の漁港で、水揚げの多くは北九州、関西、東京の大市場に送られる。

北西部の三重には新長崎漁港がある。

農村部ではミカン、スイカ、ビワが多く生産され、特にビワは全国的に有名。

橘湾岸の漁業集落ではからすみを特産。

大村湾の内湾である形上湾は第2次世界大戦前から真珠養殖が盛ん。

18世紀初めから採炭の歴史があり、明治期以降はグラバー商会との協同による本格的な海底炭層開発が始まった。

香焼島、高島と端島(いずれも国の史跡、2015年、世界遺産)、伊王島、池島は一時は石炭産業で活況を呈したが、全て閉鉱した。

1945年8月、浦上に投下された原子爆弾によって市の 2分の1が破壊され、15万人の死傷者を出した。

市街地は壊滅的な被害を受けたが復興し、国宝の大浦天主堂(2018年、世界遺産)や崇福寺、国指定重要文化財興福寺眼鏡橋、旧グラバー住宅(2015年、世界遺産)、国指定史跡であるシーボルト宅跡や出島の和蘭商館跡、唐人屋敷といった異国情緒を持つ建造物が、国内外から多くの観光客を集めている。

また、浦上天主堂、二十六聖人殉教地、外海の出津集落及び大野集落(ともに2018年、世界遺産)等のキリシタン関連の史跡もある。

長崎くんちの奉納踊は国の重要無形民俗文化財

南端の樺島のオオウナギ生息地、市街地付近にあるキイレツチトリモチ自生北限地は国の天然記念物。

市域の一部は野母半島県立自然公園、西彼杵半島県立自然公園、大村湾県立自然公園に属する。

JR長崎本線の終点で、長崎電気軌道路面電車が市内を走る。

国道34号線、202号線、206号線、251号線、324号線、499号線が通じ、長崎自動車道インターチェンジがある。

長崎港から五島列島へ、茂木港から富岡(天草下島)へフェリーが運航。

面積 405.86㎢。

人口 42万9508人(2015年)。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

日本史で聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?

私は、新潟市には行ったことがないので、1度行ってみたいと思います!

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!