こんにちは!
今日は、春秋三伝について紹介したいと思います!
春秋三伝とは、中国古代の年代記『春秋』の3つの注釈書のことです。
春秋三伝に選ばれたのは、
春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)
春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)
春秋穀梁伝(しゅんじゅうこくりょうでん)
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
春秋左氏伝
春秋左氏伝とは、中国、春秋三伝の1つで、経書に数えられている。
『左氏伝』『左伝』とも言う。
孔子と同時代の人、左丘明が孔子の『春秋』の正しい意味が失われることを恐れて、『左伝』を作り、また、『国語』を著わしたと伝えられているが、実際は漢代の学者が『国語』その他の伝承史料により、『春秋』の編年に合わせて編集した物と考えられる。
『公羊伝』の政教主義を捨てて、『春秋』の背景の史実を暢達な文章で記述し、これに義例を加えて倫理道徳の教えを展開している。
この後、劉きん(23年没)が今文学を排斥して古文学を興そうとし、『左氏伝』を推賞したので、漢代の今文学者は、それが偽作であると非難した。
『左氏伝』は三伝のうちで最も遅れて世に出たが、後漢に古文学が行われるにつれ、『公羊伝』に代わって『春秋』の正伝となり、晋の杜預(284年没)が『春秋経伝集解』を著わし、唐の孔穎達がそれを元にして、『春秋左氏伝正義』を編集するに至って、その位置は不動になった。
批判的処理を要するが、春秋時代の歴史を知る貴重な文献である。
春秋公羊伝
春秋公羊伝とは、中国、春秋三伝の1つで、経書に数えられている。
『公羊伝』とも言う。
孔子の高弟子夏の門人、公羊高が著わし、その玄孫寿が書物にしたと伝えられ、孔子は素王(位のない王)として、統一王者の法を『春秋』に寓しているという立場から、所謂、微言大義を明らかにするように努めている。
後漢には、何休が『春秋公羊伝解詁』を著わし、三科九旨という義例を唱え、『春秋』は漢の為に王法を定めていると主張した。
その後、『公羊伝』は『左氏伝』にその地位を奪われたが、清代末期に今文学の革命思想の支柱となった。
春秋穀梁伝
春秋穀梁伝とは、中国、春秋三伝の1つで、経書に数えられている。
『穀梁伝』とも言う。
成立年未詳。
孔子の高弟子夏の門人、穀梁赤(生没年未詳)の著と伝えられるが、実際は、『公羊伝』の煩瑣主義を修正して、『春秋』の倫理的意義や王朝の法制的意義を明らかにしようとした物と思われる。
前漢に一時行われたことがあるが、その後は『公羊伝』『左氏伝』の補助的位置にある物となった。
如何でしたか?
そもそも『春秋』という書物があること自体、知りませんでした。
日本でも、いくつか注釈書がありますが、やはりその書物を読むだけでは、理解するには難しいといった部分があるようですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!