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シナリオライター御三家って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、シナリオライター御三家について紹介したいと思います!

 

シナリオライター御三家とは、

向田邦子(むこうだくにこ)

山田太一

倉本聰(くらもとそう)

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

向田邦子

 

 

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向田邦子とは、日本のテレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。

第83回直木賞を受賞。

週刊誌のトップ屋時代は幸田邦子名義で執筆していた。

共同ペンネーム「葉村彰子」の一員でもある。

父親の転勤で全国を転々とするが、本人は鹿児島時代が文学の原点と語った。

実践女専国語科を卒業後、映画雑誌の記者を経て、ラジオ・テレビの台本・脚本を書く。

七人の孫』『寺内貫太郎一家』等、自分の実感をもとに庶民の生活を温かくかつその暗部をも描いて「ホームドラマの旗手」と言われた。

1980年短編連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』(後に作品集『思い出トランプ』に収録)で直木賞を受賞した。

新卒で財政文化社に入社し、社長秘書として勤める。

その後、雄鶏社に転職し、「映画ストーリー」編集部に配属され、映画雑誌編集者として過ごす。

その頃、市川三郎の元で脚本を学び、シナリオライターを目指した。

雄鶏社を退社した後は脚本家、エッセイスト、小説家として活動する。

ホームドラマ作品の脚本家として現在も知名度は高く、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』といった人気作品を数多く送り出した。

1970年代には倉本聰山田太一と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた。

 

 

 

 

 

山田太一

 

 

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山田太一とは、日本の脚本家・小説家。

本名は石坂太一。

松竹で木下惠介の助監督を務めた後、フリーランスとなり、テレビドラマの脚本家に転身。

社会的弱者を主題としたり、テレビドラマのタブーに挑戦する等、数々の話題作を次々と生み出した。

代表作は『岸辺のアルバム』(1977年)『ふぞろいの林檎たち』(1983年、1985年、1991年)『男たちの旅路』(1976年〜1982年)『想い出づくり』(1981年)等。

非常に多くの賞を受賞。

また、小説『飛ぶ夢をしばらく見ない』『異人たちとの夏』『遠くの声を捜して』の三部作を著し、小説家としての地位も確立し、小説『異人たちとの夏』では1988年(昭和63年)の山本周五郎賞も受賞。

映画や舞台も手掛けた。

 

 

 

 

 

倉本聰

 

 

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倉本聰とは、日本の脚本家、劇作家、演出家。

本名は、山谷馨。

東京都渋谷区出身。

妻は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。

父は俳人、日新書院取締役の山谷太郎。

祖父は医学博士、日新医学社社長の山谷徳治郎。

大伯父は衆議院議員の山谷虎三。

東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送を経てフリー。

主にテレビドラマの脚本家として活躍。

東京から北海道へと居を移し、『前略おふくろ様』『北の国から』等、多くのヒット作を生み出した。

主宰した「富良野塾」にて26年間に渡り後進を指導。

65歳で紫綬褒章、75歳で旭日小綬章を受章した。

1977年(昭和52年)より富良野市に在住。

かつては山田太一向田邦子と合わせて「シナリオライター御三家」と呼ばれた。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

倉本聰については、現在も作品を生み出し続けていますね。

北の国から』は、現代においても語り継がれている素晴らしい作品ですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!