こんにちは!
今日は、五街道について紹介したいと思います!
五街道に選ばれたのは、
の5つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、安房、上総、下総、常陸の 14ヵ国、のちに武蔵が加えられた。
またこの地域を通る街道の呼称でもある。
30里 (約 120km) ごとに駅を設置し、駅馬を常備した。
鎌倉時代には交通量が増加し街道としての重要度が高まり、江戸時代には五街道の1つに定められた。
53の宿駅がおかれ、軍事的な意味から河川の架橋が禁じられた。
また箱根、新居などには関所が設けられ、江戸への出入りがきびしく監視された。
江戸日本橋から千住、幸手 (さって) 、栗橋、小金井、宇都宮、徳次郎を経て日光にいたる約 150kmをいう。
日本橋-宇都宮間は奥州街道と重複し、狭義には宇都宮-日光間の約 35km。
幸手で日光御成街道、今市で日光例幣使街道、日光西街道、日光北街道、会津西街道が合流する。
今市付近には現在も杉並木が残り、天然記念物に指定されている。
奥州道中ともいう。
また、奥羽街道、陸羽街道ともいう。
江戸日本橋から草加 (そうか) 、古河 (こが) 、宇都宮、白河、郡山、二本松、福島、仙台、一ノ関、花巻、三戸、浅虫を経て青森にいたるまでの宿駅 69次の街道。
諸説があるが、厳密には宇都宮までの日光街道を除く。
37大名がこの街道を通行し、幕末には蝦夷地開拓などの理由により、特にその重要性を増した。
明治以降、陸羽街道と呼ばれ、ほぼ国道4号線にあたる。
正徳年間 (1711~16) 以前には中仙道とも書いた。
江戸日本橋から板橋、大宮、高崎を経て、軽井沢、下諏訪、馬籠 (まごめ) 、加納、守山などを通って草津で東海道に合流する。
全 67宿、130里余 (約 520km) 。
碓氷 (うすい) 、木曾福島、贄川 (にえかわ) の3ヵ所に関所がおかれ、贄川-馬籠は木曾路と呼ばれたが、『木曾路名所図会』は中山道全宿と江戸周辺の街道をも含めている。
各宿の定置人馬は 50人 50頭であるが、木曾路 11宿は 25人 25頭とされた。
参勤交代の大名は 30家と、東海道の裏街道的地位にあった。
江戸時代の五街道の1つ。
江戸日本橋を起点に内藤新宿 (新宿) を経て甲府にいたり、さらに下諏訪で中山道に合流する。
本来は甲府までの 38宿であるが、甲府、上諏訪の信州往還6宿も街道の延長として含み、44宿、53里2丁 (約 208km) とすることもある。
初めは第1の宿は高井戸であったが、元禄 10 (1697) 年、内藤新宿が設けられ第1の宿駅となる。
半蔵門から西へ、追分、新宿、調布、八王子、甲府、富士見峠を越え、以後ほぼ現在の JR中央線に沿っている。
甲府は江戸幕府の外辺防御の拠点で、街道は軍事上、経済上重要視されたが、ほかの街道より交通量は少なかった。
江戸防備を考慮して途中の小仏峠と鶴瀬には関所が設けられた。
国道 20号線 (東京-塩尻市) は、まったく別のルートをとっている区間もあるが、ほぼ昔の甲州街道を改良したものであり、現在でも甲州街道と呼びならわされている。
如何でしたか?
日本史で出てくる用語ですね。
五街道は、現在だと国道何号線に当たるかを調べると、また面白いと思います。
最後までお読み頂き有難う御座いました!