こんにちは!
今日は、世界のアーティストの売上ベスト3について紹介したいと思います!
世界のアーティストの売上ベスト3とは、
1位:ビートルズ
2位:エルヴィス・プレスリー
3位:マイケル・ジャクソン
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
ビートルズとは、イギリスのロック・グループ。
ジョン・レノン(ギター)、ポール・マッカートニー(ベース)、ジョージ・ハリソン(ギター)、リンゴ・スター(ドラムス)の4人。
いずれもリバプール生まれ。
ジョンが1953年末に結成したクォリーメンに1956年、ポールが、1958年、ジョージが参加、その後シルバー・ビートルズを経て1960年にビートルズと改名、1962年、リンゴがピート・ベストの後任として参加。
同年、『ラブ・ミー・ドゥ』がヒット。
1964年初めに『抱きしめたい』がアメリカでも大ヒットして世界的なビートルズ旋風となる。
現代人の思考と感情をジョンとポールを中心に優れた自作の詩と曲で表現し、ポピュラー音楽全般に強い影響を及ぼして新しい流れを作り、史上最も偉大なグループと高く評価されている。
また、彼ら4人の生き方は同世代の若者たちの強い共感を呼び、その影響は音楽を超えて若者文化全般に及んだことも特記される。
1965年、外貨獲得の功績でエリザベス女王からMBE勲章を受章。
1966年(昭和41年)6月、東京公演の為、来日している。
1970年に解散、各自ソロ活動に入った。
その後、何回も復活の噂が流れたが、ヨーコ・オノ(小野洋子)と結婚して話題を呼んだジョンがニューヨークで射殺された為、実現しないで終わった。
エルヴィス・プレスリーとは、アメリカのポピュラー・ロック歌手、映画俳優。
ミシシッピ州テュペロ生まれ。
13歳の時、テネシー州メンフィスに移り、同地の高校卒業後トラック運転手をしていたが、1954年、サン・レコードに迎られ、カントリー歌手として注目され始めた。
1955年には全米的なヒットが出て大手のRCAレコードに移り、1956年初め、『ハートブレイク・ホテル』が大ヒットしてセンセーショナルな評判となり、ロックン・ロール歌手として一躍トップ・スターの座に就いた。
同年、『やさしく愛して』で映画にもデビュー。
彼はロックを若者の文化として社会に定着させる基盤を築いた人で、ロックの王者と称されている。
兵役を終えた1960年からは間口を広げ、異色の個性をエンタテイナーとして発揮した。
ラス・ベガスのホテルに出演した時の記録映画『エルビス・オン・ステージ』(1970年)にその一面を見せている。
マイケル・ジャクソンとは、アメリカのポピュラー歌手、作曲家、ダンサー、俳優。
20世紀後半から21世紀にかけてのポピュラー音楽を代表する存在であった。
ジャクソンのキャリアは、モータウン・レコードの黒人ボーカル・グループ、ジャクソン・ファイブのリード・シンガーとして始まった。
ジャクソン家の兄弟で構成されたこの5人組グループは、デビュー時に11歳であった末弟マイケルの天才的な歌唱力とダンス・パフォーマンスによって一躍人気を得て、『帰ってほしいの』(1969年)、『ABC』『アイル・ビー・ゼア』(ともに1970年)等のヒット・アルバムを生んだ。
1971年にソロ活動を開始し、『ガット・トゥー・ビー・ゼア』(1972年)等をリリースした後、アーティストの管理が厳しいモータウンを離れエピックに移籍する。
ミュージカル映画『ウィズ』(1978年、監督シドニー・ルメット)出演時に出会ったクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎え制作された、移籍第一弾アルバム『オフ・ザ・ウォール』(1979年)は大ヒットとなり、ジャクソンはブラック・ミュージックの枠を越えた新世代のエンターテイナーとしての地歩を固める。
同じくジョーンズと共に制作した次作『スリラー』(1982年)は、レコード音楽史上の全ての売上記録を塗り替える怪物的作品となった。
ソウル・ミュージック、ヘビー・メタル、ポップ・バラード等、多彩な音楽性によって多くの聴衆を引きつけたこのアルバムからのシングル・カット曲「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」等、7曲が全米チャート・トップ10にランクインし、1984年のグラミー賞では史上初の8部門での受賞となる。
アルバムは全世界で4500万枚を売り上げ、『ギネスブック』にも記載された。
また、1981年に開局した音楽専門チャンネルMTVはこのアルバムのプロモーションに大きな影響を与えた。
「ビリー・ジーン」や「今夜はビート・イット」等のプロモーション・ビデオは、ジャクソンの卓越したダンス・パフォーマンスを広く知らしめ、ジョン・ランディスを監督に迎え110万ドルの制作費をかけた、11分に渡る大作ビデオ『スリラー』は、プロモーション・ビデオの可能性を極限まで追求した傑作として評価された。
1985年に、多くの著名ミュージシャンによるチャリティー・セッション・グループ、U. S. A. フォー・アフリカにおいて、ライオネル・リッチーと共に「ウィ・アー・ザ・ワールド」を作曲し、セッション録音をリードする等、ジャクソンは中心的な役割を果たす。
また同年、ビートルズの楽曲約270曲の権利を買い取り、更にはディズニー・プロダクションが制作するミュージカルの3D映像作品『キャプテンEO』の撮影を開始する等、ジャクソンの活動は一ミュージシャンの枠を越え、エンターテインメント事業そのものを動かす文化現象となってゆく。
続くアルバム『バッド』(1987年)、『デンジャラス』(1991年)と新作をリリースする度に、「マイケル・ジャクソン現象」は膨れ上がっていった。
世界各国でツアーを行い、社会主義崩壊後のソ連や東欧圏へ真っ先に招待されコンサートを行う等、かつてのビートルズに比肩し得る、資本主義文化を象徴する大スターとなってゆく。
その一方で、エルビス・プレスリーの娘であるリサ・マリー・プレスリーとの結婚と離婚、顔面の整形手術、少年趣味等が面白可笑しく報道される等、イエロー・ジャーナリズムによるスキャンダラスな覗き見趣味の格好の対象にもなった。
その後もアルバム『インヴィンシブル』(2001年)をはじめ多方面で活躍。
2009年6月、自宅で急死した。
如何でしたか?
どのアーティストも世界的に有名ですね。
実際に活躍している姿を見たのは、マイケル・ジャクソンしかないですが、映像ではいつでも見れますね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!