いつか役に立つかもしれないムダ知識

生きていく上では必要ではない雑学や知識を投稿していきます。クイズなどにも役立つかもしれません。

毛利五奉行って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、毛利五奉行について紹介したいと思います!

 

毛利五奉行に選ばれたのは、

児玉就忠(こだまなりただ)

桂元忠(かつらもとただ)

赤川元助(あかがわもとやす)

粟屋元親(あわやもとちか)

国司元相(くにしもとすけ)

の5人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

児玉就忠

 

 

f:id:mudachishiki4510:20221030131002j:image

 

 

児玉就忠とは、戦国時代の武将。

毛利氏の家臣。

安芸児玉氏の一族。

児玉元実の次男。

兄に児玉就兼、弟に児玉就方。

子に児玉元良、小方元信、児玉春種、内藤元輔。

毛利隆元の時代になり、毛利家中の五奉行制が確立された際には、五奉行の1人となった。

五奉行としての役目は元就と隆元の連絡調整役であり、また、元就との被官関係はそのままであった。

その為、隆元の家臣であった赤川元保国司元相とは不仲であったとされる。

 

 

 

 

 

桂元忠

 

 

桂元忠とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

毛利氏の家臣で、五奉行の1人。

桂広澄の次男。

兄に桂元澄、弟に桂就延、桂保和がいる。

養子に桂就宣。

官途は上総介。

天文19年(1550年)に毛利隆元の下で五奉行制度が始まると、その正直な性格を元就に評価され、五奉行の一員として活動した。

五奉行の中では児玉就忠同様、親元就派だった為、親隆元派だった赤川元保国司元相、粟屋元親らとは対立したが、隆元が元就の隠居を止める書状を元忠に送る等、元就と隆元を繋ぐ役割を果たしていた。

 

 

 

 

 

赤川元助

 

 

f:id:mudachishiki4510:20221030131022j:image

 

 

赤川元助とは、戦国時代の武将。

毛利氏の家臣。

天文19年(1550年)、五奉行制度が始まると、毛利隆元の直属奉行人筆頭に任命された。

隆元側近の重臣として活躍するも、親隆元派として驕慢な振る舞いが多く、親元就派の重臣であった児玉就忠や桂元忠達と屡々対立した。

 

 

 

 

 

粟屋元親

 

 

粟屋元親とは、戦国時代の武将。

毛利氏の家臣。

毛利氏の五奉行の1人で、毛利十八将の1人。

祖父は粟屋元秀、父は粟屋元忠。

天文24年(1555年)の厳島の戦いの後の防長経略でもその武勇を発揮した。

また、毛利隆元の側近として内政面にも優れ、毛利氏の五奉行制度が成立すると、赤川元保国司元相、桂元忠、児玉就忠らと共に、その1人として活動した。

 

 

 

 

 

国司元相

 

 

f:id:mudachishiki4510:20221030131040j:image

 

 

国司元相とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

毛利氏の家臣。

天文19年(1550年)、家中の井上党を粛清した毛利元就は、新たな体制として五奉行制を定めると、元相は赤川元保、粟屋元親、桂元忠、児玉就忠と共にその1人となった。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

毛利元就の家臣と毛利隆元の家臣で構成されていたようですね。

毛利元就は、一国の国人から中国地方を治める大名にまで成長したので、人気のある武将ですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!