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島津四勇将って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、島津四勇将について紹介したいと思います!

 

島津四勇将に選ばれたのは、

新納忠元

鎌田政年

川上久朗

肝付兼盛

の4人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

新納忠元

 

 

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新納忠元とは、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。

島津氏の家臣。

大永6年(1526年)、新納祐久の子として誕生。

新納氏は島津氏の一族であり、忠元の家系はその庶流にあたる。

 

 

 

 

 

鎌田政年

 

 

鎌田政年とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

薩摩国島津氏の家臣。

別名は政房。

通称は刑部左衛門、尾張守。

入道名は寛栖。

妻は山田有親の娘。

子は鎌田政広、鎌田政商。

島津忠良、貴久、義久の3代に仕え、大隅帖佐、薩摩馬越、日向三ツ山、大隅牛根の地頭職を歴任した。

 

 

 

 

 

川上久朗

 

 

川上久朗とは、戦国時代の武将。

島津氏の家臣。

天文6年(1537年)、川上忠克の二男として誕生。

久朗は島津氏の庶流川上氏の一族であることに加え、若い頃から智勇兼備の誉れが高く、その才能は島津忠良島津義久にも高く評価され、天文22年(1553年)に17歳にして当主の義久から島津氏の家老職、並びに谷山の地頭にまで任命されるという異例の抜擢を受けている。

更に、義久の命で老中となり没年までその地位にあった。

 

 

 

 

 

肝付兼盛

 

 

肝付兼盛とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

肝付氏庶流。

大隅国加治木城主。

島津貴久・義久の家老を務めた。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

島津家の家臣も中々知られていない人物が多いですね。

幕末まで続く島津家は、物凄くしぶとく生き延びていることが分かりますね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!