いつか役に立つかもしれないムダ知識

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和歌四天王(江戸時代)って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、和歌四天王(江戸時代)について紹介したいと思います!

 

和歌四天王(江戸時代)に選ばれたのは、

澄月(ちょうげつ)

慈延(じえん)

小沢蘆庵(おざわろあん)

伴蒿蹊(ばんこうけい)

の4人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

澄月

 

 

澄月とは、江戸時代中期〜後期の僧、歌人

正徳(しょうとく)4年生まれ。

比叡山で天台を学び、後浄土門に入る。

和歌を武者小路実岳(さねおか)に学び、小沢蘆庵(ろあん)、伴蒿蹊(こうけい)、慈延と共に平安和歌四天王といわれた。

寛政10年5月2日死去。

85歳。

備中(びっちゅう)(岡山県)出身。

俗姓は西山。

別号に垂雲軒、酔夢庵

著作に「和歌為隣抄」、歌集に「垂雲和歌集」等。

 

 

 

 

 

慈延

 

 

慈延とは、江戸時代中期〜後期の僧、歌人
寛延元年生まれ。

塚田旭嶺(きょくれい)の5男。

塚田大峯の弟。

比叡山で天台を修め、円教院住職となる。

冷泉為村(れいぜいためむら)に学び、小沢蘆庵(ろあん)、澄月(ちょうげつ)、伴蒿蹊(ばんこうけい)と共に平安和歌の四天王と称された。

文化2年7月8日死去。

58歳。

信濃(しなの)(長野県)出身。

字(あざな)は大愚。

号は吐屑庵。

著作に「隣女晤言(ごげん)」等。

 

 

 

 

 

小沢蘆庵

 

 

小沢蘆庵とは、江戸時代中期〜後期の歌人

享保(きょうほう)8年生まれ。

冷泉為村(れいぜいためむら)に学んだが破門され、「古今和歌集」を尊重する「ただこと歌」を主張。

伴蒿蹊(ばんこうけい)、慈延、澄月と共に平安和歌四天王と称され、上田秋成本居宣長(もとおりのりなが)らと親交があった。

歌論は門人の香川景樹に受け継がれた。

享和元年7月11日死去。

79歳。

大坂出身。

名は玄仲(はるなか)。

通称は帯刀。

別号に孤鴎、観荷堂。

歌論書に「振分髪」等。

 

 

 

 

 

伴蒿蹊

 

 

伴蒿蹊とは、江戸時代中期〜後期の歌人、文章家。
享保(きょうほう)18年10月1日生まれ。

近江(おうみ)八幡(滋賀県)の豪商。

36歳で家督を譲る。武者小路実岳(さねおか)に学び、古今調の歌をよくした。

歌集に「閑田詠草」など。

和文にも優れ「近世畸人(きじん)伝」「国津文(くにつぶみ)世々の跡」等がある。

文化3年7月25日死去。

74歳。

京都出身。

名は資芳(すけよし)。

別号に閑田子(かんでんし)。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

江戸時代なのに、平安和歌四天王とも呼ばれており、ややこしいですね。

歴史の表舞台にはあまり出ませんが、文化面において素晴らしい功績を残した人物は、まだまだいると思うので、紹介していきたいと思います!

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!