こんにちは!
今日は、ボクシング御三家について紹介したいと思います!
ボクシング御三家とは、
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
元プロボクサー。
元WBC世界ライト級王者。
本名は、鈴木有二。
タレントの鈴木佑季は長女。
プロボクサー時代はヨネクラボクシングジムに所属し、アジア人で初のWBC世界ライト級チャンピオンだった。
当時はWBCとWBAの2団体しかない時代で、ライト級は非常に層が厚い階級だったが、世界の強豪を抑えてタイトルを5度防衛した。
ボクサーとしての生涯戦績は、51戦31勝(17KO)14敗6分だった。
ボクシング引退後はタレント、俳優として長く活動している。
1996年、森喜朗の勧めで第41回衆議院議員総選挙に東京都第9区から自由民主党公認で立候補したが落選した。
粟野町役場庁舎内(現在は、鹿沼市役所粟野支所庁舎)に、「粟野町出身の名誉人」として、額入りの顔写真を掲げられている。
幻の右と言われたパンチが注目されていたが、防御面でも卓越した技術を持っていた。
なお、「ガッツポーズの創始者」として語られることがあるが、これは誤りである。
ただし、ボクサーとしての現役時代からガッツポーズを披露している。
柴田国明とは、日本の元プロボクサー。
身長163cm。
ヨネクラボクシングジム所属。
世界2階級制覇王者。
名門ヨネクラボクシングジムが生んだ初の世界王者。
敵地メキシコで「赤き鷹」と呼ばれた王者ビセンテ・サルディバルから王座を奪取する等、2階級に渡って3度世界王座を奪取したうち、2度が日本国外での王座獲得であった。
その才能は青木勝利、海老原博幸らと並んで日本プロボクシング史上屈指と評され、実力・実績に対する評価も極めて高い。
WBC世界ライト級王者ガッツ石松等、好選手が多く在籍していたヨネクラジム最盛期にあっても、ジムのエースとして君臨した。
引退後はトレーナーとしてジムに残る。
身長163cmの小柄な体でスピーディでリズミカルなボクシングを展開した。
パンチを当てるのが上手く、ガードの空いた所に、マシンガンのように連打を打ち込んだ。
一方で打たれ弱くカウンター一発でKO負けすることも多かった。
6敗の内5敗がKO負けである。
「日本人には困難」と言われたスナップの効いたパンチを打つことができた。
そこから付いた異名が「天才パンチャー」「かめ割り柴田」。
輪島功一とは、日本の元プロボクサー。
元WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者。
元リングマガジン世界スーパーウェルター級王座。
現在はタレント、輪島功一スポーツジム名誉会長。
団子屋の経営も行っていた。
樺太豊原市(現・ユジノサハリンスク)出身、北海道士別市育ち。
血液型はB型。
世界スーパーウェルター級王座を3度獲得(1度目と2度目はWBA・WBC統一王座で、日本人初の公式な(WBA・WBC分立後)統一世界王者でもある。3度目はWBAのみ)。
「炎の男」の異名を持ち、「かえる跳び」等で知られる変則右ボクサーであった。
具志堅用高、ガッツ石松、輪島の3人でボクシング界の重鎮として共演することが多い。
妻は現在ジムのマネージャーを務めている。
元プロボクサーで現在はジム会長の輪島大千は次男、元ジャニーズJr.の輪島大生は孫(長男の息子)、元プロボクサーで現在はジムのトレーナーである磯谷和広は娘婿(長女の夫)、所属プロボクサーの磯谷大心と磯谷広太は孫(長女の息子)にあたる。
輪島のボクシングスタイルは非常に変則的なもので、両腕を回すように動かしつつ不規則なウィービングで上体を振るファイティングポーズが最大の特徴である。
この独特のリズムで相手を幻惑し、突如繰り出す強烈な左右のストレートで顔面を狙い打つという展開を好んだ。
自身の代名詞とも言える「かえる跳び」等のトリッキーな技の数々に埋もれがちだが、全盛期に見せた瞬時の突進力とピンポイントを打ち抜く正確な強打は特筆に価する。
また、軽中量級の選手としては比較的ジャブを多用しない部類に入る。
如何でしたか?
ガッツ石松と輪島功一は、テレビにも多く出演しているので、知っている方も多いのではないでしょうか。
ただし、タレントとしての認識が強く、ボクサーであったことは知らないかもしれないですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!