こんにちは!
今日は、日本三阿弥陀堂について紹介したいと思います!
日本三阿弥陀堂に選ばれたのは、
富貴寺(大分県)
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
天台、浄土両宗に属し朝日山と号する。
藤原道長の別荘をその子の頼通が譲り受け仏寺としたもので、永承7年(1052年)に本堂、翌年に鳳凰堂(国宝)を造立。
その後、法華堂、多宝塔、宝蔵等が建てられたが、延元1年=建武3年(1336年)、兵火で焼け、室町時代の衰運を経て、現在では鳳凰堂、観音堂、鐘楼だけが残る。
鳳凰堂は阿弥陀浄土を具現化したもので、扉や壁面は、『九品来迎図』や『日想観図』等の板絵 16面(国宝)や雲中供養仏で飾られている。
本尊『阿弥陀如来坐像』は定朝の作(1053年、国宝)。
長治2年(1105年)、藤原清衡が建立し、東北地方最大の寺であったが、延元2年=建武4年(1337年)に経蔵(国の重要文化財)、金色堂(国宝)を除いて焼失。
金色堂は天治1年(1124年)に創建された方三間の方形造の阿弥陀堂。
内部は金蒔絵、螺鈿、極彩色の装飾が施され、平安時代末期美術の典型的な姿を示し、当初の礼盤、案、華鬘等の仏具も残っている。
堂内の3つに分かれた仏壇の下には中央に藤原清衡、左右に藤原基衡、藤原秀衡の遺体を納め、その上方に 32体の仏像を安置している。
富貴寺
元は阿弥陀寺と言い、養老2年(718年)、仁聞法師の創建と伝えられる。
国宝の大堂は蕗の大堂とも言い、藤原時代末期に建造された当時の阿弥陀堂の典型的な例で、三間四面宝形造。
阿弥陀三尊を安置し、その後、壁に浄土変が描かれ、なげし上の板壁にも仏、菩薩の壁画がある。
如何でしたか?
この中ですと、富貴寺が少しマイナーでしょうか。
平等院と中尊寺は行ったことがありますが、どちらも美しい建造物と印象でした。
富貴寺もいつか行ってみたいと思います。
最後までお読み頂き有難う御座いました!