いつか役に立つかもしれないムダ知識

生きていく上では必要ではない雑学や知識を投稿していきます。クイズなどにも役立つかもしれません。

支笏三山って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、支笏(しこつ)三山について紹介したいと思います!

 

支笏三山に選ばれたのは、

樽前山(たるまえさん)

風不死岳(ふっぷしだけ)

恵庭岳(えにわだけ)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

樽前山

 

 

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樽前山とは、北海道南部、支笏湖の南東にある火山。

活火山で、常時観測火山。

標高 1041m。

直径 1200mの大火口原の中に火口丘があり、その上に更に溶岩ドーム(溶岩円頂丘)を形成した三重式の火山として世界的に有名。

約 9000年前に火山活動を開始し、休止期を挟んで度々大規模な噴火を起こして来た。

近世以降では、寛文7年(1667年)と元文4年(1739年)に大規模なプリニー式噴火が発生し、大量の火山砕屑物を噴出した。

また、1909年には溶岩ドームを生成する噴火を起こしている。

支笏洞爺国立公園に属する。

 

 

 

 

 

風不死岳

 

 

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風不死岳とは、北海道南西部、千歳市支笏湖南岸に聳える火山。

標高 1103m。

支笏カルデラ形成後、カルデラ内に噴出した円錐(コニーデ)形の成層火山

輝石安山岩火山砕屑物から成り、浸食が進んで、火口の跡は判然としない。

地名はアイヌ語フップウシ(トドマツが多いの意)に由来。

支笏洞爺国立公園に属する。

 

 

 

 

 

恵庭岳

 

 

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恵庭岳とは、北海道南西部、支笏湖の北西岸にある火山。

千歳市に属する。

標高 1320m。

那須火山帯に属する比較的急傾斜の円錐(コニーデ)形の活火山で、輝石安山岩から成る。

頂上にある東向きの火口から東方へ続く割れ目の中に数ヶ所の硫気孔があり、今尚噴煙を上げている。

1972年に開催された札幌冬季オリンピック大会の際、スキー滑降コースが設けられた。

山麓の湖岸とオコタンペ湖畔に丸駒、オコタン等の温泉が湧く。

1949年、支笏洞爺国立公園に指定。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

3つとも火山のようですね。

北海道は火山が多い印象ですが、その分温泉地も多い気がします。

私も温泉が好きなので、色々な温泉に行ってみたいと思います。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

 

大学群の東京五大学って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、大学群の東京五大学について紹介したいと思います!

 

東京五大学とは、

東京大学

東京工業大学

一橋大学

早稲田大学

慶應義塾大学

の5つの大学です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

東京大学

 

 

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東京大学とは、国立大学法人

起源は江戸幕府直轄の諸学校に遡るが、直接には 1877年に創設された東京大学を主要な母体とし、当時は法学、理学、文学、医学の4学部であった。

1886年帝国大学となり、法学、医学、工学、文学、理学の5分科大学が置かれた。

その後、1890年に農科大学を増設。

1897年、東京帝国大学と改称。

1919年、大学制度の改革により、分科大学は学部となり経済学部を増設。

1947年に東京大学と改称。

1949年には学制改革により第一高等学校、東京高等学校東京大学付属医学専門部を統合して新制の大学となった。

現在は教養、文学、教育学、法学、経済学、理学、医学、薬学、工学、農学の10学部を置く。

1953年、大学院設置。

本部は東京都文京区本郷にある。

 

 

 

 

 

東京工業大学

 

 

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東京工業大学とは、国立大学法人

1881年に創設された東京職工学校を起源とし、1890年に東京工業学校、1901年に東京高等工業学校、1929年に東京工業大学となった。

実地に即応した工業教育を行う目的で創立されたが、その後工業界の指導的人材の養成に大きな役割を果たした。

旧所在地が東京の蔵前であったので「蔵前」とも通称された。

1949年、新制の大学に移行。

理学院、工学院、物質理工学院、情報理工学院、生命理工学院、環境・社会理工学院の6学院を置く。

1953年、大学院設置。

本部は東京都目黒区大岡山にある。

 

 

 

 

 

一橋大学

 

 

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一橋大学とは、国立大学法人

前身は 1875年に森有礼を中心として創設された商法講習所。

1884年、東京商業学校となる。

1887年、高等商業学校と改称。

1920年大学令によって東京商科大学となり、1944年、東京産業大学と改称、1947年、再び東京商科大学となった。

1949年、学制改革により一橋大学となり、商学部、経済学部、法学社会学部の3学部を置いた。

1951年、法学社会学部が法学部と社会学部に分離して4学部となった。

入学定員は 955人(2007年)。

1953年、大学院を設置。

経済研究所を併設している。

本部所在地は東京都国立市

 

 

 

 

 

早稲田大学

 

 

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早稲田大学とは、私立大学。

前身は1882年に大隈重信が創設した東京専門学校。

学問の独立を標榜し、政治経済学科、法律学科、理学科、英学科の 4学科で発足した。

1902年、現校名に改称、1920年大学令による大学として認可され、1949年、新制大学となった。

政治経済学部、法学部、教育学部商学部、社会科学部、人間科学部スポーツ科学部、国際教養学部、文化構想学部、文学部、基幹理工学部創造理工学部先進理工学部を置く。

1951年、大学院を設置。

理工学術院総合研究所、坪内博士記念演劇博物館等を併設。

本部所在地は東京都新宿区。

 

 

 

 

 

慶應義塾大学

 

 

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慶應義塾大学とは、私立総合大学。

その起源は安政5年(1858年)に福沢諭吉が江戸鉄砲洲に開設した洋学塾。

慶応4年(1868年)、芝新銭座に移して慶應義塾と称した。

塾を会社組織とし、入塾する「社中」の協力により維持運営する組織とした。

明治4年1871年)、現在の三田に移転、1890年、大学部を設け、理財、法律、文学の3学科を置いた。

1898年に学制を改め、幼稚舎(小学校)から大学科まで一貫教育の形態を整えた。

1917年、北里柴三郎が医学科を設け、1920年大学令による大学となる。

その後学部の増設を重ね、1944年には藤原銀次郎が創設した藤原工業大学を合わせて工学部を設置した。

1949年の学制改革により新制の大学となった。

文学、経済学、法学、商学、医学、理工学、総合政策学、環境情報学、看護医療学の各学部を置き、2008年、共立薬科大学と合併して薬学部を増設、10学部となった。

1951年、大学院を設置。

図書館、医学部付属病院、産業研究所等の研究機関をはじめ、多くの付属研究所を設けている。

本部所在地は東京都港区。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

東京にあるトップレベルの大学ですね。

国立大学と私立大学が混合しており、高学歴に相応しい大学ですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

 

ギアナ三国って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、ギアナ三国について紹介したいと思います!

 

ギアナ三国に選ばれたのは、

ガイアナ

スリナム

フランス領ギアナ

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

ガイアナ

 

 

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ガイアナとは、南アメリカ北部にある国。

西はベネズエラ、南西と南はブラジル、東はスリナムと国境を接し、北は大西洋に面する。

地体構造的には先カンブリア時代の岩石から成るギアナ楯状地に属し、地形は西部国境のパカライマ山脈及び南部国境のアカライ山脈から海岸低地に向かって緩やかに傾斜、これら山地に発するエセクイボ川、デメララ川、バービス川、コランタイン川等が北流して大西洋に注ぐ。

高温多雨の熱帯気候に属し、ジョージタウンで月平均気温 26~28℃、年降水量約 2200mm。

国土の 70%以上が熱帯雨林に覆われ、年降水量約 1800mmに減少する南西部はサバナとなっている。

住民の約 30%は植民地時代初期に奴隷として連れて来られたアフリカの黒人で、約 45%は 1838年奴隷制廃止後に年季契約労働者として来住したインド人の子孫。

ほかは混血、ラテンアメリカインディアン(インディオ)、ヨーロッパ人等。

公用語は英語であるが、クレオル語(フランス語の方言)も広く用いられ、ヒンディー語ウルドゥー語を話す住民もいる。

人口の約 90%が狭い海岸低地に住み、農業もここに集中。

ギアナ地方の植民活動は 17~18世紀に主にオランダ人により進められ、1732年にはバービス川河口にも植民地が建設された。

1780~1815年にはヨーロッパ列強の抗争によりこの地方の領有が目まぐるしく変わったが、ナポレオン戦争後結ばれたパリ条約により、バービス、デメララ、エセクイボ 3植民地がイギリス領となり、1831年、これらが統合されて単一の植民地イギリス領ギアナとなった。

1953年、新憲法が制定された後、人民進歩党 PPPと人民国家会議党 PNCの抗争のうちに独立の機運が高まり、1966年5月26日、ガイアナの名の下に独立、イギリス連邦の構成国となった。

1970年、共和制へ移行。

ボーキサイトと砂糖の輸出が経済を支える。

主産業は農業で、キャッサバ、トウモロコシ、野菜、柑橘類等の他、換金作物としてサトウキビ、イネ、コーヒー、カカオの栽培が盛ん。

鉱物資源に恵まれ、ボーキサイトの他、マンガン、金、ダイヤモンド等を産する。

森林資源は豊富であるが、輸送、製材等の諸施設の不足から大部分未開発。

漁業はあまり発展していないが、近年エビ漁が盛んとなり、主に輸出に向けられている。

工業は製糖、精米を中心とした食品工業の他、マッチ、石鹸、衣料等の日用品が製造されるに留まる。

経済は独立後も外国資本の支配下にあったが、1970年代に入って国有化が進められ、砂糖、ボーキサイトの二大産業をはじめ、大部分の外国系企業が国有化されたが、1990年代から民営化に転じている。

対外累積債務に悩み、1人あたりの国民総生産 GNPは南アメリカで最低水準。

道路網は海岸低地では比較的良く発達しているが、内陸部では未発達。

 

 

 

 

 

スリナム

 

 

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スリナムとは、南アメリカ北部にある国。

旧オランダ領ギアナで、西はガイアナ、南はブラジル、東はフランス領ギアナと国境を接し、北は大西洋に面する。

地体構造的には先カンブリア時代の岩石から成るギニア楯状地に属し、地形は南部の低い山地から海岸平野に向かって緩やかに傾斜する。

西の国境を成すコランタイン川、東の国境を成すマロワイネ川をはじめとする多数の川が北流し、大西洋に注ぐ。

北緯2~6°の熱帯に位置する為、気温は年間を通して高く、平均 27℃。

11~2月、4~8月が特に多雨で、年降水量は沿岸部で約 2000mm、内陸部では更に多くなる。

海岸地帯がマングローブ、その内陸側がサバナとなっている他は、全土が熱帯雨林に覆われる。

住民はインド人、クリオーリョと呼ばれる現地生まれの白人、インドネシア人を中心に、インディオ、中国人等、多くの民族からなる。

公用語オランダ語であるが、タキタキと呼ばれるヨーロッパ諸語の混成語を話す人が多く、英語も広く通用する。

国名はかつてこの地域に住んでいたインディオのスリネン族に由来すると考えられるが、彼らはカリブ族に追われ、15世紀末ヨーロッパ人が到達した時はこの地にはカリブ族の他、アラワク族、ワロー族等が住んでいた。

1651年、イギリス人により最初の本格的植民地が建設され、黒人奴隷の労働力を元にプランテーション経済が発展。

1667年、第2回イギリス=オランダ戦争後のブレダの和約により、北アメリカのオランダ植民地ニューネーデルラントと引き換えにオランダ領となったが、18世紀にはヨーロッパ列強の抗争により屡々領有者が変わった。

ナポレオン戦争後結ばれたパリ条約によりオランダの領有が最終的に確定。

1863年奴隷制廃止により深刻な労働力不足が生じ、中国、ジャワ島、インド等から年季契約労働者を導入、これが今日の複雑な住民構成を齎した。

1954年、オランダ王国内の自治領となった後、1975年 11月 25日に独立。

1980年、クーデターにより軍部が政権を握り、内戦を経て、1986年、民政移管したが、1990年、再びクーデターが勃発。

経済の主柱はアルミニウム産業で、ボーキサイト、アルミナ、アルミニウムが輸出の大半を占める。

鉱産物としては他に、鉄鉱、マンガン、ニッケル、金等がある。

農業は主に海岸平野で行われ、イネを中心に、バナナ、柑橘類、ココヤシ、コーヒー、サトウキビ等を栽培。

森林資源は豊富であるが、まだあまり開発されていない。

近年エビ漁を中心とした漁業が盛んとなって来た。

アルミニウム工業の他、食品、製靴、縫製、セメント等の工業があるが、いずれも小規模。

鉄道、道路は北部沿岸に僅かに敷設されているだけで、内陸部との連絡は主に河川交通と空路による。

 

 

 

 

 

フランス領ギアナ

 

 

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フランス領ギアナとは、南アメリカ北部にあるフランスの海外県。

首都カイエンヌ

西はスリナム、南と東はブラジルと国境を接し、北は大西洋に面する。

地質的には古期の岩石から成るギアナ高地の一部であるが、北流する河川による浸食が進み、南部に低い山地が散在する他は北に向って緩やかに傾斜する平坦地となっている。

北緯2°~6°の赤道地帯に位置する為、気温は高く、カイエンヌの月平均気温 25~26℃。

年較差は殆ど無い。

12月~1月、4~7月が特に多雨で、沿岸部では年降水量 4000mmに上る所もあり、全土の約 90%が熱帯雨林に覆われる。

住民の大半はクレオールと呼ばれる人々であるが、これは人種に関係無く、ヨーロッパ風の生活様式を取り入れている人々を指し、公用語のフランス語の他、クレオル語(現地語化したフランス語)を話す。

人口は主にカイエンヌを中心とした沿岸部に集中。

16世紀初めにスペイン人が沿岸部を探検。

17世紀前半、フランス人が現在のカイエンヌの地に最初の植民地を建設。

その後、オランダ人、イギリス人による占領、ポルトガルとの国境紛争等があったが、18世紀前半徐々に人口が増加し、発展し始めた。

しかし、1848年の奴隷制廃止によりプランテーション経済が崩壊。

1852年以降、サンローランデュマロニ、ディアブル島等、数ヶ所に流刑植民地が建設された。

ここに送られてきたヨーロッパ人の囚人は熱帯気候の中での労働に耐えられず次々に死んでいったが、これら植民地はその後 90年以上に渡って存続、フランス領ギアナの悪評の源となった。

1946年、フランス本土の県と同等の地位を持つ海外県となり現在に至っているが、現在は南アメリカ大陸で唯一の非独立地域である。

経済的には全面的にフランス本土に依存、農業も自給に程遠く、食糧の輸入が年々増えている。

膨大な森林資源は殆ど未開発。

しかし、近年漁業が発展し、エビを中心とした漁獲は輸出にも向けられている。

エビの缶詰・冷凍工場もあり、製品は主に日本、アメリカ合衆国に輸出される。

鉱産物として金がある。

鉄道は無く、道路も沿岸部を除くと未発達で、交通は主に河川と空路による。

カイエンヌに国際空港があり、クールーにはヨーロッパ宇宙機ESAのロケット打ち上げ基地がある。

面積 8万3534㎢。

人口 24万3000(2011年推計)。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

3つとも、中々マイナーな国ですね。

南アメリカ大陸でも知られざる地域なので、非常に勉強になりました。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

 

北米三国って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、北米三国について紹介したいと思います!

 

北米三国に選ばれたのは、

アメリ

カナダ

メキシコ

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

アメリ

 

 

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アメリカとは、北アメリカ大陸の中央部を占める 48州及び1特別区と、アラスカ州及びハワイ州の 2州とから成る連邦共和国

元首は任期 4年の大統領(3選禁止)。

議会は上院と下院の 2院から成る。

中緯度に広大な面積を占め、自然環境は多様である。

西部には、ロッキー山脈、シエラネバダ山脈、カスケード山脈、海岸山脈等が並行して南北に連なる。

これらの間にコロンビア高原やグレートベースン等があり、高原を横切ってコロンビア川とコロラド川の二大水系が西流して太平洋に注ぐ。

内陸は主としてミシシッピ川の水系に属する大平野で、その北部のカナダ国境に五大湖がある。

東部には,アパラチア山脈セントローレンス川からアラバマ州にかけて連なり、大西洋岸とメキシコ湾岸には、広く海岸平野が発達する。

気候はほぼ西経100°の経線を境として、東半部の湿潤気候とそれ以西の乾燥気候とに大きく分けることができる。

また、東半部の中でもニューイングランド五大湖付近は、冷涼な海洋性気候、中央部は夏季温暖な大陸性気候、そして南部は亜熱帯気候を示す。

西部はグレートプレーンズのステップ気候、グレートベースン周辺は砂漠気候、太平洋岸は温暖な海洋性気候及び温帯冬雨気候などを示す。

かつてはアメリカの各地で、先住民のアメリカインディアンが民族集団単位に生活を営んでいたが、15~16世紀頃から海岸部にスペイン人をはじめヨーロッパ人が入植。

17世紀になって、東北部にイギリス人やフランス人が移住して、18世紀中頃までに十三植民地を建設した。

1776年のアメリカ独立宣言、1861~1865年の南北戦争等を経て、東部から西部へと開拓が進められた。

第1次世界大戦後、特に織物や農業機械工業の発達が著しく、それは大規模な機械化農業の発達に結びつくものであった。

その結果、肥沃で広大な内陸平野には、コムギ地帯やトウモロコシ地帯、綿花地帯等の大農業地帯が形成された。

また、中部及び西部諸州の石油や、アパラチア山系の石炭、ミネソタ州の鉄鉱石等、鉱物資源にも恵まれて、各地に工業が発達した。

第2次世界大戦後は、メキシコ湾岸や太平洋岸にも石油化学、航空機、電子等の近代工業が立地した。

工業化に伴って都市化も進み、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス等の大都市が形成され、特にニューヨークを中心とした地域は、総人口 1800万を超える巨大都市(メガロポリス)圏となるに至った。

このような豊かな経済力を背景にして、通貨のドルは国際通貨となり、多くの国々と同盟を結び、国際政治の上でも指導的な役割を果たして来た。

国民総生産や国民所得で、世界の首位を占め、多くの国民は豊かな「アメリカ的生活様式」を営む。

住民は非ヒスパニック系白人 63.7%、ヒスパニック系 16.3%、非ヒスパニック系黒人 12.6%、他にアジア系、アメリカインディアン等(2010年)。

主要言語は英語であるが、ヒスパニックの多くはスペイン語を話す。

宗教はプロテスタントカトリックの他、ユダヤ教イスラム教等。

 

 

 

 

 

カナダ

 

 

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カナダとは、北アメリカ北部にある国。

イギリス連邦を構成する一自治国で、10の自治州と 3准州から成る。

アメリカ合衆国アラスカ州を除く北アメリカ大陸の北半を占め、南はエリー湖中のペレー島の北緯 41°41′から、北はコロンビア岬の北緯 83°6′の間に広がる。

面積はロシアに次いで世界第2位であるが、国土の大部分は山地や岩石地、極地で、開発された地域は国土の 3分の1以下。

気候はかなり厳しく、1月の平均気温が 0℃以上となるのはバンクーバー付近のみ。

耕地や居住地は、南の国境沿いや五大湖沿岸に集中し、中部から北部にかけては広大な針葉樹林帯やツンドラ、氷雪地帯が広がる。

地形は、西部太平洋岸のロッキー山脈と東部大西洋岸のアパラチア山脈の両者に挟まれた広大な地域で、高地、平原、低地の 3地域に大別できる。

カナダへの植民は、1534年、フランス人ジャック・カルティエセントローレンス湾に入り、セントローレンス川沿岸をフランスの植民地ニューフランスとしたのに始まる。

しかし、ヨーロッパにおける七年戦争後のパリ条約(1763年)により、北アメリカ大陸のフランス植民地がイギリスに割譲され、以後はイギリスの植民地となった。

1864年、イギリスの 4植民地が連邦を結成してカナダとなり、1867年、イギリス連邦カナダ自治領になった。

1931年、外交自主権を獲得して完全な独立国となり、1982年、新憲法を公布、国権の最高機関を国会とし、イギリス君主は象徴とされた。

国民は多くの民族からなるが、イギリス系とフランス系がそれぞれ約 4分の1を占める。

フランス系はケベック州を中心に東部の旧フランス植民地に多い。

公用語は英語とフランス語。

ケベック州では文化の独自性を主張し、分離独立を求める運動が続いている。

植民の初期は、タイガでの毛皮獣の捕獲及び毛皮の取引が主であったが、その後鉱物資源や林産資源の開発と農業開発が進んだ。

南部のプレーリー地帯のコムギ栽培と畜産、カナダ楯状地の金、銀、銅、鉛、ニッケル、鉄、ウラン等の鉱業、アルバータ州を中心とする石油、天然ガスの採掘、東部や西部の林業等が盛んで、漁業も重要。

五大湖からセントローレンス川沿岸を中心に、食品加工、石油精製、自動車等の工業が発達し、その他にパルプ、製紙、製鉄、鉄鋼、機械、鉄道車両、ハイテク関連等の工業も盛んである。

北大西洋条約機構 NATO原加盟国。

国際紛争で中立的な立場が評価され、国際連合の様々な平和維持活動に参加している。

 

 

 

 

 

メキシコ

 

 

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メキシコとは、北アメリカ大陸最南部を占める連邦共和国

北はアメリカ合衆国、南東はグアテマラベリーズと国境を接し、東はメキシコ湾とカリブ海、西と南は太平洋に面する。

ユカタン半島とメキシコ湾岸低地を除くと、国土の大半は山地と高原から成り、東マドレ山脈と西マドレ山脈に挟まれたメキシコ高原がその中核を成す。

同高原の南縁には北緯 19°の線にほぼ沿って火山帯が連なり、ここにメキシコの最高峰シトラルテペトル火山(5700m)をはじめとする火山、高峰が聳える。

全体に標高が高い為、緯度の割に熱帯気候に属する地域は少なく、ユカタン半島、海岸低地等に限られる。

北東貿易風とハリケーンの影響下にあり、その風上にあたる東部から南部にかけての沿岸低地及び海に面した山地斜面では雨が多く、一部に熱帯雨林が繁茂するが、国土の半分は年降水量 600mm以下の乾燥地で、メキシコ高原北部、バハカリフォルニア半島は砂漠気候となっている。

先住民ラテンアメリカインディアン(インディオ)と征服者スペイン人が民族的、文化的に融合して今日のメキシコを形成しており、住民のおよそ 3分の2が両者の混血メスティーソである。

その他、インディオが約 20%、白人が約 15%。

公用語スペイン語

住民の約 90%がキリスト教カトリック

20世紀初頭のメキシコ革命後、新体制の下に極めて安定した政情が続き、農地改革が進展、豊かな資源と相まって経済が急速に発展した。

第2次世界大戦後の人口の増加は著しく、1950~1990年で 3倍以上となった。

農業は第2次世界大戦後、国内総生産GDPに占める割合が急速に減少したが、依然として基幹産業である。

主要作物は国内消費用のトウモロコシ、コムギ、マメ類、イネ、輸出用のサトウキビ、コーヒー、綿花、果物、ヘネケン(繊維植物)等。

牧畜も盛ん。

鉱業は植民地時代以来の重要産業で、中でも銀の生産量は世界最多。

この他、蛍石ビスマス、硫黄、石墨の世界有数の生産国であり、銅、鉛、亜鉛、金、水銀、鉄、マンガン等も産する。

また、ラテンアメリカではベネズエラと並ぶ産油国で、石油も重要な輸出品。

工業は近年著しく発展。

主要工業は石油化学、食品加工、化学、自動車、電機、印刷、製紙、衣料、金属、鉄鋼等。

工業発展に伴い消費財の輸入は減少したが、生産財の輸入と人口増加に伴う食糧の輸入が近年増加し、輸入超過が続いている。

テオティワカン遺跡やアステカ帝国の遺跡、またカンクンアカプルコ等、世界的に有名なリゾート地がある為、観光も重要な産業になっている。

鉄道網、道路網とも良く発達。

近年は乗客、貨物とも道路輸送が主力となってきている。

山がちの為、空運も盛ん。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

2026年サッカーワールドカップの開催地となる3つの国ですね。

アメリカにおいては、ワールドカップに続いて2028年にはロサンゼルスオリンピックが開催されるので、大忙しですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

 

インドシナ三国って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、インドシナ三国について紹介したいと思います!

 

インドシナ三国に選ばれたのは、

ベトナム

ラオス

カンボジア

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

ベトナム

 

 

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ベトナムとは、インドシナ半島の東縁部を占める国。

北は中国と、西は南北に連なるアンナン山脈を自然の境界としてラオスカンボジアと国境を接し、東は南シナ海、南西はタイ湾に臨む。

国土は S字を引き延ばしたように細長く延び、南端から北端までは約 1600kmに渡るが、東西の幅は最もくびれた所では 50kmに狭まる。

山がちで、国土の 4分の3は山地、高原から成るが、南部ではメコン川が、北部ではホン川がいずれも北西から南東へ貫流し、その下流域に広大なデルタ(三角州)を形成している。

メコン川デルタとホン川デルタはベトナムの二大穀倉地帯となっており、人口も集中している。

気候的には北部は温帯季節風気候、中部から南部にかけては熱帯季節風気候。

住民の 80%以上はベトナム人で、残りはタイ、クメール、タイ、ムオン、ヌン、メオ等、60以上の少数民族や中国人から成る。

公用語ベトナム語であるが、少数民族はそれぞれの言語も使う。

宗教は仏教徒がおよそ半数を占める。

ベトナムは80年に及ぶフランスの支配を覆し 1945年独立したが、間もなく再支配を図るフランスとの間に第1次インドシナ戦争が始まり、1954年、ジュネーブ協定により国土が南北に分断された。

その後、北部では社会主義政権の元に国作りが進んだが、南部では1960年頃から民族解放勢力と政府側の対立が激化し、内乱状態となり、これにアメリカ合衆国が積極的に介入して第2次インドシナ戦争に発展。

1975年4月、解放勢力と北部の正規軍の総攻撃により南の政権は崩壊、アメリカ軍も完全撤退し、民族の悲願であった国家統一が達成され、1976年7月、ベトナム社会主義共和国が発足した。

経済的には、石炭、リン灰石、鉄鉱石、スズ、クロム等の鉱物資源に恵まれ、ベトナム民主共和国北ベトナム)時代に政府主導で重工業化が進められた北部と、農業が主体の南部との差異が大きい。

戦争による国土の荒廃と統一後の人材流出で大きな困難に直面したが、5ヵ年計画等の元に経済再建に向けて活発な活動が開始された。

戦争で寸断された交通網の修復も急ピッチで進み、1976年末にはハノイホーチミン市を結ぶ大動脈、トンニャット鉄道が復旧、開通した。

1978年のカンボジア侵攻、1979年の中越戦争によって国際的に孤立し、国際収支が悪化して経済的危機に陥ったが、1986年、ドイ・モイを打ち出し、経済の自由化を進める一方、カンボジアからの撤退を進め、1990年には中国との関係も修復した。

外国資本の受け入れによって製造業は活況を呈し、南シナ海で石油の開発が進んで原油が重要な輸出品となっている。

東南アジア諸国連合 ASEAN加盟国。

 

 

 

 

 

ラオス

 

 

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ラオスとは、インドシナ半島中部東寄りに南北に細長く延びる国。

東はベトナム、南はカンボジア、西はタイ、北西はミャンマー、北は中国に囲まれて位置する内陸国で、メコン川中流部の左岸一帯を占める。

西の国境を成すメコン川に沿うビエンチャン、タケク、サバンナケート、パークセー等の町の周辺に僅かに沖積平野が開ける他は、ほぼ全域が山地、高原地帯から成り、ベトナムとの国境に沿ってアンナン山脈が連なり、北部にはシエンクワン高原、南部にはボロベン高原が広がる。

熱帯季節風気候に属し、南西からの季節風が吹く 5~10月が雨季。

年降水量は 1200~2200mmであるが、ボロベン高原やアンナン山脈等の一部では 4000mmに上る。

住民の半数以上はタイ諸族の1つラオ族(ラオ・ルム)で、その多くはメコン川沿いの低地に住み、主に水稲の栽培に従事する。

残りは多くの少数民族からなり、山地、高原地帯を中心に住む。

公用語ラオ語であるが、少数民族はそれぞれの言語を持つ。

人民民主共和国となってから仏教は国教では無くなったが、国民の半数近くは仏教徒

1949年、ラオス王国としてフランス連合内で独立を認められたが、翌1950年、完全独立を目指して左派のパテト・ラオが結成された。

1953年、ラオス王国完全独立後、パテト・ラオ、右派、中立派による三つ巴の抗争が起こり、内戦に発展、国民経済に大きな打撃を与えた。

1974年の停戦協定で連合政府が樹立されたが、パテト・ラオが次第に勢力を増し、1975年12月、王制を廃止して人民民主共和国の成立を宣言。

1986年以降、経済開放政策を進めている。

経済の主柱は農業で、イネ、サトウキビ、トウモロコシ、コーヒー、タバコ、綿花、ジャガイモ等が栽培される。

国土の 60%以上が森林に覆われる為、林業が盛んで、木材、安息香(天然樹脂の一種)、カルダモン、漆等を産し、これらが重要な輸出品となっている。

水力発電による電力が豊富で、電力の輸出も重要。

機械類、石油が最大の輸入品で、タイを経由して輸入される。

銅、スズ、金、鉛、亜鉛、石炭、鉄鉱石等の鉱物資源に恵まれる。

首都を中心に食品加工、繊維、精米、製材、煉瓦、マッチ、煙草等の軽工業が立地する。

交通は専ら道路と、主要都市を結ぶ空路に依存している。

メコン川は重要な通商路であるが、ケマラートの急流部やコーン滝等に妨げられて、全流路を通じての航行はできない。

東南アジア諸国連合 ASEAN加盟国。

 

 

 

 

 

カンボジア

 

 

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カンボジアとは、インドシナ半島南部にある国。

東はベトナム、北はラオス、北から西にかけてはタイと国境を接し、南はタイ湾に面する。

南を除く三方をアンナン山脈、ダンレク山脈、クラバン山脈等の低い山脈に囲まれて広がる中央平野が国土の約 4分の3を占め、その東部寄りを北から南へメコン川貫流する。

西部にはトンレサップ川によってメコン川と結ばれたトンレサップ湖が横たわり、メコン川の洪水を制御する天然の調節池の役割を果たしている。

プノンペンメコン川の河港都市で、トンレサップ川が合流し、バサック川が分流する地点に位置する。

気候は典型的な熱帯季節風気候で、タイ湾の湿気を含んだ南西季節風が吹く 5~10月が雨季、北東からの比較的弱い風が吹く 11月~4月が乾季となっている。

年降水量は南西風を直接受ける南西部の山地斜面では 4000mm以上であるが、中央平野では 1000~1500mmと地域差が大きい。

住民の 80~90%がクメール族(カンボジア人)で、主に米作を中心とした農業を営む。

他に山地クメール、、チャム等の少数民族や、中国人、ベトナム人等が住む。

公用語カンボジア語
1953年にフランスから完全に独立した後、サンクム(人民社会主義共同体)を基盤に実権を握ったシアヌークが 1970年3月に追放され、同年 10月ら王制廃止とともにクメール共和国が発足した。

その後、外国勢力の支援を背景に内戦が続いた。

1976年、民主カンプチア(1990年、カンボジアと改称)が樹立され、ポル・ポト政権下に独自の社会主義建設が進められた。

1979年、ベトナムの支援を受けたカンプチア救国民族統一戦線が首都に進攻、カンプチア人民共和国(1989年4月、カンボジア国と改称)の樹立を宣言、内戦が再開された。

1980年にかけて多数の住民が難民となって国境を越えてタイ領へ流出し、国際的に注目を浴びた。

1991年10月、パリで和平協定が調印され、内戦は終結

1992年に国連カンボジア暫定統治機構UNTACが設立・発足し、停戦監視、選挙実施等を行った。

1993年5月には総選挙が実施され暫定政府が発足、同年9月に新憲法が制定され、カンボジア王国が成立してシアヌークが初代国王に即位した。

しかし、その後も赤いクメールのゲリラ戦、カンボジア政府内の対立等があり、政情は不安定だった。

1997年7月、ラナリット第1首相とフン・セン第2首相の対立が激化し武力衝突へと発展、ラナリットは事実上国外追放され、フン・センが全権を手中に収めた。

1998年7月の総選挙でフン・セン率いるカンボジア人民党が勝利、11月よりフン・センが単独の首相に就任した。

国民経済は内戦により大きく破壊されたが、元々メコン川が齎す肥沃な土壌に恵まれた農業国で、イネを中心に、トウモロコシ、ワタ、煙草、ゴム、コショウ等が栽培され、次第に経済は好転した。

メコン川トンレサップ湖では漁業が盛んで、魚類が国民の主要な蛋白質源となっている。

工業は農産物加工が中心で、軽工業の域を出ないが、内戦中に多くの工場が破壊、閉鎖され、工業生産は激減した。

主要交通路はプノンペンを中心とした鉄道、道路で、鉄道はプノンペンから西へ、バッタンバンを経てタイ国境のポイペトへ至る線と、南へ延びて主要港コンポンソムへ至る線がある。

1999年、東南アジア諸国連合加盟。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

インドシナとは、インドと支那(中国)の間にあるから名付けられたのですかね?

いずれの国も内戦が繰り広げられ、激動の時代をやっと越えたのかもしれないですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!