こんにちは!
今日は、行教三八幡宮について紹介したいと思います!
行教三八幡宮とは、大安寺の僧、行教が宇佐神宮の八幡大菩薩を勧請した3つの八幡宮です。
行教三八幡宮に選ばれたのは、
窪八幡宮
琴崎八幡宮
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
旧称は「男山八幡宮」。
二十二社(上七社)の1つで、伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに二所宗廟の1つ。
宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の1つ。
また、宮中の四方拝で遥拝される神社の1つである。
本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている。
窪八幡宮
旧社格は郷社。
伝承によれば、第58代清和天皇の時代、豊前国宇佐神宮を信仰し毎年参拝していた備前国上道群窪の庄内の領主藤原朝臣藤井左馬之進弘清が、老年になって参拝が不自由になり、領内に八幡神を勧請して信仰を尽くす為、窪庄内の氏神若宮の地に社殿を造営し貞観元年(859年)8月23日、奈良大安寺の僧行教に依頼し、豊前国に鎮座する宇佐神宮を勧請し、窪八幡宮として崇敬し弘清及び窪庄内の人々の氏神としたと言う。
琴崎八幡宮
宇部市の総鎮守として崇敬を受ける。
八幡神(品陀和気命・気長足比女命・足仲津比古命)を主祭神とし、宗像三女神(多紀理比女命・多紀津比女命・市杵島比女命)を配祀する。
社伝によれば、貞観元年(859年)、行教が宇佐から石清水へ八幡神を勧請する途中で宇部郷琴芝の浦に行宮が設けられ、その跡地に村人が八幡神の分霊を祀ったのが当社の起源であると言う。
天授3年(1377年)、神託により現在地の琴崎に遷座した。
歴代領主の厚東氏・大内氏・毛利氏らの崇敬を受けた。
如何でしたか?
石清水八幡宮は知っていましたが、残りの2つは初めて知りました。
八幡宮と名が付く神社は、日本に沢山あるようですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!