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毛皮の世界三大取引地って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、毛皮の世界三大取引地について紹介したいと思います!

 

毛皮の世界三大取引地に選ばれたのは、

ライプツィヒ

ロンドン

ニジニ・ノヴゴロド

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

ライプツィヒ

 

 

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ライプツィヒとは、ドイツ東部、ザクセン州の都市。

ベルリンの南西、鉄道で約180km、ワイセエルスター、プライセ、パルテの3河川の合流点付近に位置する。

スラブ人の集落として興り、1015年に要塞が築かれ、1156~1170年に都市権を得て、以後、商業中心地として発達。

1952~1990年、ライプツィヒ県(旧東ドイツ)の県都

第2次世界大戦前、ドイツ最大のものとして知られた国際見本市も、1170年頃に起源を持つとされる。

国際見本市は現在も春秋2回ずつ開かれている。

17世紀末から盛んになった出版印刷業も重要で、ドイツ東部における経済、文化の中心地となっている。

ライプニッツゲーテフィヒテ、R.ワーグナー等を輩出したライプチヒ大学(1409創立。 1953~1990年にはカルル・マルクス大学ライプチヒ)、蔵書2000万冊を誇る図書館をはじめ、各種の優れた教育研究機関があり、博物館、歌劇場等の劇場、ゲバントハウス等にも、かつて「小パリ」と称された頃からの伝統が継承されている。

工業ではハレとともに中部ザクセン工業地域の中心をなし、重機械、輸送機械、電気機器、衣料、化学製品の生産が盛んである。

第2次世界大戦で多くの歴史的建造物が破壊されたが、J.S.バッハが27年間音楽監督を務めた聖トマス教会(13世紀)、16世紀の市庁舎、ゲーテの『ファウスト』の舞台となった居酒屋アウエルバッハ・ケラー等が修復されている。

人口 51万8862(2010年)。

 

 

 

 

 

ロンドン

 

 

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ロンドンとは、イギリスの首都。

イングランド南東部、テムズ川の河口より約 80km上流の沿岸に位置する。

43年、ローマ皇帝クラウディウス1世による征服後、湿地帯を横切る距離が最短で済む渡河点としてテムズ川に架橋されて以来、橋頭集落ロンディニウムとして発達した。

1066年、ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム1世)がウェストミンスター寺院イングランド王に即位してから、イングランドの首都として発展。

1664~1665年、疫病が大流行、1666年のロンドン大火で市街地の大半を焼失したが、エリザベス朝時代に飛躍的な発展を遂げ、17世紀には国際金融市場の中心地となった。

第2次世界大戦まで大英帝国の首都として繁栄、その後、大英帝国の衰退に伴って世界経済における市の重要性は低下したが、旧植民地を含むイギリス連邦の政治、経済の中心地としての、またヨーロッパ連合EU第三世界に対する貿易・金融上の大中心地としての地位は依然として維持し、アメリカ合衆国のニューヨーク、スイスのチューリヒと並ぶ国際金融界の大取引場として大きな影響力を及ぼしている。

タワーブリッジより下流テムズ川の水路と、その沿岸に並ぶドック群、埠頭からなるロンドン港はイギリス最大の貿易港で、主に食糧と工業原料を輸入、工業製品を輸出する。

工業部門は、中心市街部では奢侈品、家具、衣料等の製造、テムズ川沿岸部では製粉、製糖や、石油精製、自動車製造、造船を含む重化学工業、郊外部では機械、電機等の工業が中心。

炭田を背後に控えて発展したイギリスの他の工業都市とは異なるが、膨大な労働力と消費人口を抱える、イギリス最大の工業中心地となっている。

18世紀以降、急激に都市化が進み、1888年、ロンドン市(シティ)を中心とした市街化地域がロンドン県となったが、その後も都市域が拡大し続けた為、1965年、同県は廃止された。

これに代わって、郊外の住宅地を含めてグレーターロンドンというコナベーション(連接都市域)が設置された。

イングランド銀行大英博物館ウェストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、ロンドン塔、イギリス国会議事堂セント・ポール大聖堂、ギルドホール、ナショナル・ギャラリー、ロンドン博物館等、歴史的建造物が多い。

イギリス最大の総合大学であるロンドン大学をはじめとする多数の高等教育機関がある。

イギリス最大の交通中心地でもあり、全国各地からの鉄道、道路が集まり、西郊にヒースロー国際空港、南郊にガトウィック空港がある。

面積1572㎢。

人口 817万3941(2011年)。

 

 

 

 

 

ニジニ・ノヴゴロド

 

 

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ニジニ・ノヴゴロドとは、ロシア西部、ニジェゴロド州の州都。

1932~1990年はゴーリキー

モスクワの東約420km、ボルガ川とオカ川の合流点に位置する。

年代記によると、1221年、ウラジーミル公ユーリー・フセボロドビッチが建設。

バルト海から中央アジアへの主要な交通路をなしていたボルガ川に臨み、モスクワ方面への連絡路をなしていたオカ川の流入点に位置していた為、戦略上の要地として重要となり、1392年、モスクワ大公国領に入ると、東方のタタール人に対する前進拠点となった。

16世紀半ば、ロシアがボルガ川流域を統合した後は、交易中心地として発展。

1817年から始まった市の見本市には、ロシア、アジア各地の商人が集まった。

ボルガ川中流域の農産物加工の中心地として早くから各種の手工業が発展していたが、十月革命後は重工業関連の工場が多数立地、ソビエト連邦の大都市の1つとなった。

機械(自動車、航空機部品、モータ、クレーン、工作機械)、造船、化学、木材加工、繊維、製紙、食品等の工業がある。

ロバチェフスキー大学(1918年)をはじめ、農業、医学、工学等の大学、美術館、多くの教育・文化施設がある。

ボルガ河畔には美しい公園があり、16世紀、建造のクレムリン(城砦)、17世紀のアルハンゲリスキー大聖堂等が保存されている。

交通の要地で、鉄道、ハイウェーが市から放射状に延びるとともに、河港からモスクワ、カザン、ボルゴグラード等へ貨物船や快速客船が就航。

空港もある。

市周辺には幾つかの衛星都市や住宅地があり、ニジニ・ノヴゴロド大都市圏を形成している。

旧市名ゴーリキーは、1868年、市に生まれた文豪マクシム・ゴーリキーを記念したもの。

また、数学者ニコライ・ロバチェフスキーの生地でもある。

人口125万615(2010年)。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

私は、ニジニ・ノヴゴロドという都市を初めて知りました。

ライプツィヒは、ナポレオン戦争で登場しますね。

いずれも、毛皮の取引で有名とは思わなかったです。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!