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世界の市域人口ベスト3って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、世界の市域人口ベスト3について紹介したいと思います!

 

世界の市域人口ベスト3とは、

1位:重慶

2位:上海

3位:北京

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

重慶

 

 

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重慶とは、中国西南地方、チベット高原と長江中下流平原との中間に位置する直轄市

13市轄区、14県級市、18県、5自治県から成る。

直轄市では中国最大の人口を有する西南地方経済の中心。

地形は長江河谷に向かって南北から傾斜し、起伏がやや大きい。

西北部と中部は丘陵地帯で東南部には大きな山脈を有する。

特に夏は気温が高く、冬は霧のかかる日が多い。

中心市は長江と嘉陵江の合流点にある重慶市

同市は、周代は巴子国の主都であったと言われ、唐で渝州、元で重慶路、明、清で重慶府が置かれた。

1876年に芝罘条約により開港場となり、日中戦争中には国民党政府が置かれ、工場の疎開もあって人口が急増した。

郊外の諸県は鉄、石炭、石油、天然ガス等、地下資源が豊富で、多数の水力発電所がある。

これらを利用して大型鉄鋼コンビナートをはじめ工作機械、電機、輸送機器、製紙、綿紡織、毛紡織、化学、食品、医薬品等、多数の工場が立地。

農業はイネ、ムギ、サツマイモを主とし、ミカンを特産する。

景勝地が多く、北郊に北温泉、南郊に南温泉がある。

西郊の紅岩村日中戦争時、中国共産党代表部のあった地で、小説『紅岩』で知られる。

成渝鉄道、川黔鉄道、襄渝鉄道が集る他、長江の三峡が改修されて、1000t級の船が航行できるようになった。

「山城」とも呼ばれる坂の多い町で、石畳道と石段が続く。

公園や住宅団地の整備も進み、北郊の北碚は住宅、文教地区となっている。

重慶市の他では、四川省から直轄市編入された涪陵区、万州区が長江沿いの交易センターとして重要。

直轄市の面積8万2400㎢、人口3042万人(1997年推計)。

 

 

 

 

 

上海

 

 

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上海とは、中国華東地方、長江の河口南岸にある直轄市

16区1県から成る。

略称は滬。

西部にある標高100m前後の残丘を除いて、標高3~5mの平坦な長江三角州である。

温暖湿潤な海洋性気候で、月平均気温は 3℃(1月)~27℃(8月)。

降水は夏季に集中し、台風の来襲が多い。

中心市街地は黄浦江の左岸、呉淞江との合流点一帯に広がり、黄浦江沿いに中国一の貿易量を持つ上海港がある。

宋代の上海鎮で、提挙市舶司が置かれ、清代の海関に引き継がれた。

1842年、南京条約により開港されると、イギリス、アメリカ合衆国、フランスの租界が置かれ、税関、銀行、商社、工場等が設けられた。

農産物の集荷、加工と工業製品の輸入が中心であったが、後に日本を含む外国資本によって綿紡績が盛んになり、小型の製鋼所、機械修理工場等も作られて、人口が急激に増大した。

独立運動、革命運動の中心地ともなり、1921年中国共産党の第1回全国代表大会が開かれ、1925年には五・三〇事件と呼ばれるゼネラルストライキが敢行された。

1949年、中華人民共和国成立後、工業は急速に発展し、鉄鋼、大型機械、造船、精密機械、自動車、石油化学、化学肥料、化学繊維、日用雑貨等、多分野に渡る総合工業都市となった。

工業地域は市区から郊外の県にも広がり、閔行のような新しい工場・住宅地区も生まれている。

商港としては、長江流域を中心に広い後背地を持ち、国内各地と諸外国への航路が開かれている。

市街には植民地時代の建物が並ぶが、享楽の場であった大世界は青年宮、競馬場は人民公園と言うように、住民の為の施設となった。

郊外の各区は網目状の水路によって灌漑、排水が行き届き、水稲、綿、野菜、油菜、果樹が栽培される。

ブタ、ニワトリ、アヒルの飼育と淡水魚の養殖も盛んである。

2010年、黄浦江の東岸、浦東地区を中心に、中国初の国際博覧会が開催された。

面積6200㎢。

人口1815万人(2007年推計)。

市区人口1128万3714人(2006年推計)。

 

 

 

 

 

北京

 

 

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北京とは、中国の首都。

国の直轄市で、16区と2県から成る。

華北平原の北端にあって、北半は燕山山脈、西部は太行山脈が占める。

南部は永定河、北東部は潮白河の流域の平野である。

気温の年較差が大きく、平均気温は7月は25.1℃に達し、1月は-4.2℃に下がる。

年平均降水量は635mmで、夏季に集中する。

中心市街地は永定河の扇状地上にあり、華北地方と東北地方、内モンゴル高原を結ぶ交通の要衝として、古代から知られていた。

戦国時代には燕の国都で薊と呼ばれ、以後も軍事、商業の要地で、遼では陪都、金では中都であった。

元で国都となってからは、明初の南京遷都の時期を除いて、中国の首都の地位を保った。

市街の中心は天安門広場で、西を人民大会堂、東を中国革命歴史博物館、北を中山公園と労働人民文化宮が囲む。

その北に元以降の皇城である紫禁城故宮博物院となって公開されている。

繁華街はその周辺にあり、各種の博物館、体育館、美術館、公園等の文化・行楽施設も多い。

城壁は殆ど撤去されて、並木のある道路が郊外に延びている。

北西郊は北京大学清華大学及び中国科学院、社会科学院に属する各研究所のある文教地域で、清の離宮頤和園(万寿山)もある。

中華人民共和国成立前は消費都市の性格が強かったが、以後は中国屈指の総合工業都市となっている。

西部の門頭溝区と房山区には炭鉱が多く、河北省の竜煙鉄鉱山も近い為に、石景山区の鉄鋼コンビナートをはじめとする金属、機械等の重工業、石油化学工業が立地する。

南郊と東郊には化学、電機、製紙等の工場が集まる。

その他、電子機器、精密機械や合成繊維、天然繊維等、多種の消費財も生産されている。

七宝、象牙細工、漆器等、伝統工芸も盛んである。

水害と干魃が絶えなかったが、1953年以後、永定河に官庁)ダム、潮白河に密雲ダムと、何れも大型の多目的ダムが作られ、更に多数の排水路、灌漑水路が引かれた。

農業はコムギ、トウモロコシ、コーリャンの他、水稲の栽培面積が増えている。

近郊野菜の栽培が特に盛んであり、ナシ、モモ、リンゴ、ナツメ、ブドウ等、果樹栽培も増大している。

北部の山地は軍都山、西部の山地は西山と総称され、景勝地や史跡に富む。

特に明の歴代皇帝を祀る明十三陵と、万里の長城を展望できる八達嶺が有名である。

全国の鉄道網、航空路網、道路網の中心であるとともに、ベトナムハノイ朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の平壌特別市、モンゴルのウラーンバートル、ロシアのモスクワとの間には国際列車が発着し、北京空港と外港の天津新港を通じて諸外国と結ばれる。

面積1万6800㎢。

人口1961万2368人(2010年)。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

全て中国の都市ですね。

やはり、中国は総じて人口が多いですね。

これからはインドの都市が入ってくるかもしれないですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!