こんにちは!
今日は、日本三大妙見について紹介したいと思います!
妙見とは、妙見菩薩のことで、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の1つです。
日本三大妙見に選ばれたのは、
相馬中村神社(福島県相馬市)
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
真如寺の境外仏堂。
山号は無漏山。
本尊は妙見菩薩。
能勢妙見堂、また神仏習合時代の名残で境内入口に鳥居があること等から、能勢妙見宮との通称もある。
正式には無漏山眞如寺境外仏堂能勢妙見山と言い、能勢町地黄にある真如寺の境外仏堂である。
境外仏堂とは飛び地境内にある仏堂の意だが、本寺の真如寺よりも遥かに多くの参詣者を集めており、関西地区における日蓮宗の寺院等においては重要な位置を占める。
開山以来、真如寺住職が併せて受持していたが、宗教団体法の規定に基づき、1941年(昭和16年)に真如寺所属の仏堂となった。
なお、山腹にある本瀧寺は妙見菩薩を祀り寺紋も酷似しているが、能勢妙見山とは無関係な天台宗系の妙見宗の寺院である。
相馬中村神社
相馬中村神社とは、福島県相馬市中村に立地する神社。
別名は妙見中村神社だが、中村神社と省略されることもある。
相馬野馬追の出陣式はここで行われる。
相馬中村神社の起源は、相馬氏の始祖である平将門が承平年間(931年〜937年)に下総国猿島郡に妙見社を建立したことに始まると言われる。
相馬氏の相馬郡下向に伴い建立された。
戦国時代の16世紀後半には、中村城が相馬氏の北の居城となり、相馬盛胤や相馬隆胤などが中村城主となった。
1600年の関ヶ原の戦いの結果として相馬氏は改易されたが、1611年に旧領への復帰を果たして中村藩を立てた。
この時、中村藩の初代藩主となった相馬利胤(相馬氏第17代当主)が、1611年に中村城内の南西に相馬氏の守護社である妙見社を建立したのが、現在の相馬中村神社の起源である。
妙見宮、妙見さん。
旧社格は県社。
上宮、中宮、下宮の三宮からなるが、現在は下宮が本宮である。
福島県の相馬妙見、大阪府の能勢妙見と並んで、日本三大妙見の1つと言われる。
1730年(享保15年)に書かれた『妙見宮実紀』によれば、795年(延暦14年)、横岳頂上に上宮を創祀。
1160年(永暦元年)、中宮を建立。
1186年(文治2年)に、後鳥羽天皇の勅願で、検校散位大江朝臣隆房により下宮が創建された。
如何でしたか?
仏教では、北極星を神格化したものが存在するのですね。
また巡りたい神社仏閣が増えました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!