こんにちは!
今日は、日本三大夏祭りについて紹介したいと思います!
日本三大夏祭りに選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
祇園祭とは、京都府京都市南東部、東山区に鎮座する八坂神社の例祭。
7月1日の吉符入から 31日の境内社疫神社の夏越祓まで 1ヶ月に渡る大祭で、17日の 33基の山鉾巡行で知られる。
もとは旧暦 6月の祭りで、祇園御霊会または祇園会と呼ばれてきた。
御霊会とは、この世に恨みを残して亡くなり疫病等の祟りを起こすと考えられた死者の霊(御霊)を鎮める祭りで、社伝によると、清和天皇の貞観11年(869年)に疫病の流行を鎮める為に日本中の国数と同じ 66本の鉾を立てて牛頭天王を祀り、神泉苑に神輿渡御を行ったのが始まりとされる。
平安時代には神輿の御旅所への渡御とそれに供奉する田楽等の行列の祭りであったが、室町時代初期頃に山や鉾が登場し始め、江戸時代には 33基の山鉾に固定した。
祭りは 3基の神輿が四条御旅所に渡御する 17日夕刻の神幸祭と、神輿がそれぞれ別の経路で還御する 24日夕刻の還幸祭を中心に行われ、17日の午前中に山鉾巡行、24日の午前中に花傘巡行がある。
17日(旧暦 6月7日)を前祭、24日(旧暦 6月14日)を後祭と呼び、山鉾は前祭に 23基、後祭に 10基と分かれて巡行していたが、1966年以降前祭に全ての山鉾が巡行し、後祭には花傘巡行を行うようになった。
山鉾巡行の前夜(宵山)には、各山鉾町内の旧家で通りに面して屏風を並べる習慣があり、屏風祭の名がある。
山鉾行事は 1979年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2009年には国際連合教育科学文化機関 UNESCOの世界無形遺産に登録されたが、2016年に「山・鉾・屋台行事」の1つとして、他の 32の祭りとともに一括登録された。
毎年 7月24、25日に行われる。
室町時代には旧暦 7月7日の祭りだったが、江戸時代に旧暦 6月24、25日に行われるようになった。
社伝によれば,天暦5年(951年)の 6月1日または 6月みそかに、社頭の浜から鉾を流して流れ着いた場所で禊を行い、それを神領民等が船を出して迎えたのが始まりとされる。
24日の朝、夏越祓の神事に続いて行われる地元小学生から選ばれた神童が神鉾を川に流す鉾流神事は、この起源伝承を再現する神事で、天神祭の開幕を告げる行事として知られる。
本祭りは 25日で、午後3時30分頃に、真紅の投頭巾を被った太鼓打ちの男たちによる催太鼓の先導で、神鉾や鳳輦が神社から大川(旧淀川)の天神橋まで渡御する陸渡御が行われる。
天神橋からは上流に向かって船渡御となり、途中で川の上流から下流に向けて出発した氏子たちの奉拝船と出会い、午後7時頃に船上祭が行われる。
本来の船渡御は下流にある御旅所に向かって行われ、それを奉拝船が出迎えていた。
この鳳輦の渡御を中心とする行事に、軽快な地車囃子を奏でる地車や、獅子舞、傘踊りの奉納等が加わって賑わう。
また、元禄年間(1688~1704年)以降、奉拝船に飾られる武者人形などの御迎え人形が見所の1つとなり、船に飾られなくなった今日も人形だけの展示が行われている。
文明10年(1478年)に太田道灌が川越の山王宮を現在地に勧請した日と言われる 6月15日の例祭奉幣を中心として、6月6~17日にかけて行われる。
本来は船祭りとして始まったと伝わるが、江戸時代には、神田神社の神田祭とともに神幸行列が江戸城内に入って将軍の上覧を受ける天下祭とされ、神田祭と交互に隔年(子・寅・辰・午・申・戌の年)の旧暦 6月15日に、宮神輿と氏子各町内の山車や附祭が長蛇の列をなして行列する神幸祭が行われ、将軍の上覧を受けていた。
今日も神田祭と隔年で 15日前後の平日に神幸祭があり、2基の鳳輦と 1基の宮神輿、氏子町内からの美少年山車や東郷元帥山車、牛若大山車等の山車が行列して皇居周辺から日本橋、銀座と東京中心部を巡り、皇居では宮司らが坂下門から参内して神符献上が行われている。
如何でしたか?
夏祭りにも祇園祭が選ばれていますね。
私は、あまり祭りに行ったことがないので、いつか行ってみたいと思います。
最後までお読み頂き有難う御座いました!