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日本三大紬って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、日本三大紬について紹介したいと思います!

 

日本三大紬に選ばれたのは、

結城紬

上田紬

大島紬

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

結城紬

 

 

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結城紬とは、茨城県結城市を中心とする鬼怒川沿いの地域から生産された、伝統的な絹織物。

真綿から手紡ぎした糸を使い、藍染めによる括り絣を施し、地機という原始的な手織機で織り上げたものが、本来の結城紬である。

結城地方は、鎌倉時代から常陸絁等の生産がなされ、全国的に有名であった。

江戸時代になって、京都西陣から高度な技術を取り入れ、従来無地紬であったものが、型付けや模様染めの反物に変わり、また積極的な振興策とも相まって、農村の副業として栄え、「結城紬」の名も確定した。

 絣織のほうは、1865年(慶応1年)から生産が始まり、現在の結城紬に繋がっている。

それは、(1)真綿かけ。

繭を温湯の中で指先で広げ、袋状の形に仕上げる。

(2)糸紡ぎ。

袋真綿をツクシ(黍殻を束ねたもの)に絡ませ、その一端より指頭をもって引き出す。

細くて節の少ない糸程良い。

(3)絣括り。

経糸緯糸それぞれの糸はデザインによって墨つけをされ、そのところを細い綿糸で固く括る作業。

(4)染め。

土甕の中で藍建てし、精練した絹糸を、順次色の薄い甕から濃い甕に浸して染める。

(5)織り。

以上の工程を経て、地機を用いて織物を作る。

一反の織物を織り上げるのに、約50日はかかる。

結城紬は、古くから伝統技法を着実に守り、染色も植物か媒染の堅牢染めとしており、糸質強靭、染色堅牢であることが特徴とされており、1956年(昭和31年)には国の重要無形文化財、1977年には通産大臣(現、経済産業大臣)の伝統工芸品に指定され、絣の技法は一段と進歩している。

 

 

 

 

 

上田紬

 

 

上田紬とは、長野県上田地方、更科、小県、埴科地方、特に千曲川上流地帯で作られる紬織物で、上田を集散地とした為、上田紬と称する。

歴史的には古く寛文年間(1661~1673年)に伝えられ、江戸中期ごろから和糸生産の発展につれ、養蚕から生じる屑繭、玉繭を利用し、農家の副業として盛んになり、最盛期は天保年間(1830~1844年)で、後に松代藩が上田産物会所を設けて発展を図った。

『万金産業袋』には「そのむかし上田より出たるは、たて横紬にて至極つよし」とあるように、丈夫な紬としての代表であった。

繊維材料は、もと玉糸を使ったが、現在では経糸に生糸、緯糸に紬糸(多くは機械を使用する)を使い、一部に高機による手織りもあるが、力織機によるものが多くなっている。

柄は縞が多く、絣も織られているが、普段着向きの着尺地として使用される。

 

 

 

 

 

大島紬

 

 

大島紬とは、鹿児島県奄美大島奄美市名瀬地区を中心に生産される平織の絹織物で、絣柄を主とした高級着尺地。

また、これに技法を同じくして生産され、「……大島」の名で呼んでいる各地の絹織物を含んで指すことがある。

大島紬がいつ頃から生産されていたかは明らかではないが、おそらく南の久米島紬から技法が伝わる江戸初期頃から盛んになり、やがて1720年(享保5年)には島津藩から紬着用の制限令が出されているので、この頃には一般に普及していたのであろう。

藩政時代には貢納品として少量生産されたに過ぎないが、明治頃から隆盛に向かった。

しかし現在では交通運輸に便利な鹿児島本土産のものが生産量も多いのが現状で、奄美から鹿児島へ移った人たちによって織られているものが多く、これも大島紬とよんでいる。

第二次世界大戦前鹿児島で織られていたものは、緯絣でこれを鹿児島大島と呼んだ。

それぞれの生産組合は生産地を区別しているが、いずれも大島紬には変わりはない。

なお、韓国産のものも現在では一部に輸入されている。

大島紬は、もと紬糸を使用したが、明治以後には、経糸に生糸、緯糸に紬糸を、次いで経緯とも玉糸に変わり、現在では甘撚りの絹糸で織るようになっている。

紬というもとの名称が、そのまま残されているに過ぎないのである。

絣糸の防染は、手括りによる括絣によったが、現在では能率的な「むしろ」のように縛る織締機を使っている。

染色は、独特の泥大島ではテーチキ(シャリンバイともいう)の樹皮を細かく刻んだものの煮出し液で染め、更に泥土中につけ独特の黒褐色の色調を出す。

所謂泥土中の鉄分によるタンニン含有物の鉄媒染法(いわゆる泥染め)である。

この他、泥藍大島、藍大島や、化学染料による色大島もある。

模様はもと簡単な幾何文の絣柄であったが、明治以後には細かい十字絣による絣柄へと転換する。

そして精緻な柄行を細かい絣技法により織り出すが、その大島絣独特の柄ゆきは、毒蛇(ハブ)のうろこ模様の表現にあったと言われる。

これをまねた村山大島とか伊勢崎大島等と呼ばれるものが生まれたが、「本場大島」の地位は揺るがず、独特の色の渋さと模様は、広く男女和服地として使われ、町着、普段着として愛用されている。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

紬も色々な種類があるのですね。

私はこういうものに詳しくないので、少しずつ勉強したいと思います。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!