こんにちは!
今日は、騎射三物について紹介したいと思います!
騎射三物とは、平安時代〜鎌倉時代に成立した3つの武士の騎射稽古法です。
騎射三物に選ばれたのは、
犬追物(いぬおうもの)
笠懸(かさがけ)
流鏑馬(やぶさめ)
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
犬追物
犬追物とは、騎馬で犬を追い、弓で射る騎射訓練の武術。
70杖(約 159m)四方程の馬場を用い、その中に犬を放ち、18騎ずつの騎手2組が試合を行う。
射手の順序、射法、矢の善悪、作法等、細かなルールがあり、1試合に 150匹の犬を射る。
鎌倉時代に盛んになったとされ、『吾妻鏡』等に源実朝の頃に始まったとある。応仁の乱(1467~1477年)後は衰えたが、江戸時代将軍の徳川家光が再興。
明治以降は 1879年及び翌年の2回、小笠原家により天覧に供せられて以後、行われていない。
笠懸
笠懸とは、笠を的にして、馬上から弓で射る騎射武術。
1町(約 109m)の馬場で綾藺笠または1尺8寸(約 55cm)の的を遠矢で射る。
射手は 10騎または 12騎。
他に4寸(約 12cm)の的を用いる小笠懸がある。
鎌倉時代に武士の騎射訓練の為、盛んに行われ、犬追物、流鏑馬とともに騎射の三つ物といわれた。
古くは天喜5年(1057年)の平定家の記に名が見える。
流鏑馬とは、馬で走りながら鏑矢を射流して板的に射当てる競技。
古くは『日本書紀』の天武9年(680年)の条に長柄社における馬的射が見られ、平安時代に入ると宮廷行事として行われ、『新猿楽記』(1057年)に流鏑馬の名が見られる。
武家時代には兵法の修練に取入れられ、特に鎌倉幕府の奨励により盛んとなった。
戦国時代以降衰えたが、江戸時代の享保年間(1716~1736年)に8代将軍吉宗の命により諸儀式とともに復興した。
諸式に関しては小笠原、武田、三浦の3流派がある。
競技は直線で2町(約 218m)の馬場で行う。
馬場にはさくりと言われる走路に低い柵を設け、それに沿って1尺8寸(54.5cm)の角柾目ヒノキの的を設ける。
射手は、5騎、7騎、10騎、12騎、16騎等があり、綾藺笠、水干(あるいは直垂)、太刀、箙 沓を着けた狩装束で行う。
矢は4枚羽、三目雁又の鏑矢を用いる。
現在は、鶴岡八幡宮、宮崎神社等で儀式として行われている。
如何でしたか?
日本史の教科書にも登場しますね。
今でも儀式として行われている流鏑馬は、知っている人が多いかもしれないですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!