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東国三社って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、東国三社について紹介したいと思います!

東国三社とは、関東地方にある3つの神社の総称です。

 

東国三社に選ばれたのは、

鹿島神宮

香取神宮

息栖神社

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

鹿島神宮

 

 

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鹿島神宮とは、茨城県鹿嶋市宮中に鎮座。

武甕槌大神を祀る。

武甕槌大神は、天照大神の命令を受けて、経津主神と共に、天孫降臨に先立ち、高天原より出雲国に降り、大国主神と国譲りの交渉をしたと神話で語られる神で、神武天皇大和国入国にも天皇を守護したと伝えられるが、その神武天皇が即位の後、神恩感謝の為、当地に祀らせたのが本社の起源と伝承する。

常陸国風土記』に、その後、崇神天皇の代になり、大坂山に大神が現れ、中臣神聞勝命に神託し、それにより天皇は大刀、鉾、鉄弓等、多くの幣物を奉ったと記し、更に日本武尊の時、神示により舟3隻を奉納したと記している。

大和朝廷の東方経営とともに、武神としての本社が創建されたのであろう。

古くより、中臣氏が奉仕している。

風土記』に神戸65烟と記すが、『新抄格勅符抄』に、786年(延暦5年)に神封105戸と記す。

奈良時代、九州防備に赴く東国の防人が、まず本社に詣でて出発したことより「鹿島立ち」の語が生じ、それが広く旅立ちの意に用いられたのは、本社が古くより知られていた為と見られる。

812年(弘仁3年)、住吉・香取社とともに、20年に1度の式年遷宮の制度が定められ、866年(貞観8年)頃には陸奥国に苗裔神38社があり、またその頃、神宮寺もあった。

延喜の制で名神大社に列し、祈年・月次・新嘗の奉幣を受けている。

以後、平安時代にも皇室より一世一度の奉幣等、厚い崇敬を受けたが、その奉幣使を「鹿島使」と呼び、駅路片道15日、乗馬で往復した。

常陸国一宮。

鎌倉時代には源頼朝が崇敬し、武家も多く崇敬したが、室町中期以降、朝廷・武家の奉幣寄進が途絶え、故に社僧御手洗涼泉寺別当海上人が諸国を行脚し、浄財を集め社殿造営にあたるようなこともあった。

しかし、その後、佐竹氏が神領を寄進、江戸時代に徳川家康がまた社領を寄せ、以後朱印領2000石となった。

1605年(慶長10年)、家康造営の本殿は現在の奥宮であり、1619年(元和5年)、徳川秀忠により、現本殿、拝殿、幣殿等が造営され、1634年(寛永11年)、水戸藩徳川頼房により楼門、忌垣等が構築された。

明治の制で官幣大社となる。

国宝の直刀・黒漆平文大刀拵等、宝物が多い。

例祭は9月1日の神幸祭で、夜に提灯祭が行われ、他に3月9日の祭頭祭、また午年9月2日の御船祭等がある。

 

 

 

 

 

香取神宮

 

 

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香取神宮とは、千葉県香取市香取に鎮座。

経津主大神を祀る。

経津主大神は、天照大神の命令を受け、天孫降臨に先立ち、武甕槌大神と共に出雲国に降り、大国主神と国譲りを交渉されたと神話に語られる神で、神武天皇即位の後、現在の地に奉斎されたと伝承する。

本来、武神としての大神が、朝廷の東国経営にあたって、まず奉斎されたのであろう。

『新抄格勅符抄』では、806年(大同1年)の牒に神封70戸と見え、812年(弘仁3年)以降、住吉社・鹿島社とともに、20年に1度の式年遷宮の制度が定められ、882年(元慶6年)、下総国神税の稲5855把余りを持って、当時既に正一位勲一等とされていた本社の雑舎料にあてられ、以後20年ごとの例とされた。

延喜の制で名神大社となり、祈年・月次・新嘗の奉幣を受けている。

また、毎年2月と6月に藤原氏1人を派遣、祭儀を行わせ、香取郡を神郡として寄せられた。

下総国一宮。

古くより中臣氏、藤原氏が崇敬奉仕したが、中世になり、源頼朝が崇敬して神領を寄進、以後東国の武家も崇敬寄進し、近世に入って徳川家康が朱印領1000石を寄進、1700年(元禄13年)、将軍徳川綱吉が現本殿、楼門、神楽殿等を造営した。

関東、東北方面に本社勧請の社が多いのは庶民の信仰の表れと見られる。

明治の制で官幣大社

例祭4月14日。

翌15日に旧8か町村の氏子が出ての神幸祭があり、ことに午年ごとの式年大祭の神幸は盛大で、甲冑姿の氏子数千人が供奉し、神輿を利根川の御座船に移しての船上祭となる。

他にも4月第1週の土・日曜日の御田植祭には、一般に「かとりまち」と呼ばれる儀があり、土曜日に拝殿前庭で耕田式が、日曜日に田植式が、多くの早乙女達の手で行われる。

11月30日夜の大饗祭、12月1日の賀詞祭、12月4日の内陣神楽等、他にも特殊神事が多い。

社蔵の海獣葡萄鏡は国宝、古瀬戸黄釉狛犬一対、久安5年(1149年)、在銘の双竜文鏡は国重要文化財に指定されている。

 

 

 

 

 

息栖神社

 

 

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息栖神社とは、茨城県神栖市息栖に鎮座。

岐神を主神とし、天鳥船命住吉三神を配祀している。

社伝によれば、応神天皇の代に神栖村日川に鎮祭され、807年(大同2年)4月13日に現在地に遷祀されたと言う。

『三代実録』では、仁和元年(885年)の条に「正六位於岐都説神従五位下を授く」と見えるのが当社にあたると言う。

弘安の役には、勅旨を奉じ国家安泰の祈願が行われた。

旧県社。

例祭は4月13日。

1月7日に白馬祭、3月6日に春祭、7月27日に風祭、11月23日に秋祭、6月30日には川祓の形を残した夏越祓が行われる。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

鹿島神宮香取神宮は知っていましたが、息栖神社は初めて知りました。

1つだけ神宮でなかったので、それで知らなかったのかもしれないです。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!