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神護寺三像って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、神護寺三像について紹介したいと思います!

神護寺三像とは、京都神護寺が所蔵する三幅の肖像画のことです。

 

神護寺三像に選ばれたのは、

源頼朝

平重盛

藤原光能(ふじわらのみつよし)

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

源頼朝

 

 

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源頼朝とは、鎌倉幕府初代将軍。

在職1192〜1199年。
久安3年生まれ。

源義朝の3男。

母は熱田大宮司季範の娘。

妻は北条政子

平治の乱後の処分で、伊豆蛭ケ小島(静岡県)に配流。

治承4年(1180年)、平氏打倒の兵を挙げ、石橋山で大敗するが、安房(千葉県)に逃れて勢力を拡大。

鎌倉を本拠として東国を支配する。

更に源義仲平氏奥州藤原氏を滅亡させて建久3年、征夷大将軍となり、我が国初の武家政権を樹立した。

建久10年1月13日、死去。

53歳。

 

 

 

 

 

平重盛

 

 

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平重盛とは、平安時代後期の武将。
保延4年生まれ。

平清盛の長男。

保元・平治の乱で父に従って戦う。

治承元年、内大臣となるが、治承3年7月29日、父に先立って病没した。

42歳。

六波羅小松第の屋敷に因んで小松内大臣と称された。

通称は他に灯籠大臣。

 

 

 

 

 

藤原光能

 

 

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藤原光能とは、平安時代後期の公卿。
長承元年生まれ。

民部少輔の藤原忠成の子。

後白河上皇の近臣。

太后宮権大夫、右兵衛督となり、治承3年(1179年)、参議。

同年、平清盛に解任されるが、治承5年、参議に復帰。

左兵衛督を兼ね、正三位に至る。

平家物語』では、文覚の要請で平氏追討の院宣を書いたとされている。

寿永2年2月28日、死去。

52歳。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

源平時代を生きていた3人ですね。

源氏、平家、公家とそれぞれ立ち位置が異なっているのが面白いですね。

藤原光能は、初めて知りました。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!