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西美濃三人衆って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、西美濃三人衆について紹介したいと思います!

西美濃三人衆とは、戦国時代に美濃斎藤氏の家臣だった3人の総称で、美濃三人衆とも呼ばれます。

 

西美濃三人衆に選ばれたのは、

稲葉一鉄(いなばいってつ)

安藤守就(あんどうもりなり)

氏家卜全(うじいえぼくぜん)

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

稲葉一鉄

 

 

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稲葉一鉄とは、戦国〜織豊時代の武将。
永正12年生まれ。

父である稲葉通則と兄5人が戦死した為、還俗して家を継ぎ、美濃(岐阜県)曾根城主。

斎藤道三らに仕え、安藤守就氏家卜全と共に美濃三人衆と呼ばれた。

織田信長に内通して信長の美濃攻略を助け、本能寺の変後は豊臣秀吉に従った。

通以から良通へと何度も改名、入道して一鉄と号した。

天正16年11月19日、死去。

74歳。

 

 

 

 

 

安藤守就

 

 

安藤守就とは、戦国〜織豊時代の武将。
美濃(岐阜県)河渡城主。

斎藤氏の重臣となり、氏家直元稲葉一鉄と共に美濃三人衆と言われる。

後、織田信長に属するが、子の尚就が武田信玄に通じた廉で、天正8年、追放される。

信長の横死に乗じ、河渡城を奪回しようとするが、一鉄に攻められ、10年6月8日、敗死。

姓は初め伊賀。

名は別に範俊、定治。

 

 

 

 

 

氏家卜全

 

 

氏家卜全とは、戦国〜織豊時代の武将。
土岐氏、その滅亡後は斎藤氏に仕え、美濃(岐阜県)大垣牛屋城主となる。

安藤守就稲葉一鉄と共に美濃三人衆と呼ばれ、2人と共に斎藤竜興に背き、織田信長に従う。

伊勢(三重県)長島の一向一揆との戦いで、元亀2年5月12日、戦死した。

名は友国、直元。

通称は常陸介。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

意外とマイナーな人物ですね。

因みに、稲葉一鉄の孫が春日局にあたり、春日局の父は、明智光秀の家臣である斎藤利三です。

この辺が繋がっているのが面白いですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!