こんにちは!
今日は、義仲四天王について紹介したいと思います!
義仲四天王に選ばれたのは、
今井兼平(いまいかねひら)
樋口兼光(ひぐちかねみつ)
根井行親(ねのいゆきちか)
楯親忠(たてちかただ)
の4人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
仁平(にんびょう)2年生まれ。
中原兼遠の子。
源義仲の家臣で乳兄弟。
義仲四天王の1人。
治承(じしょう)4年の義仲の挙兵に従い各地を転戦。
寿永3年1月20日源頼朝方の軍に破れ、近江(おうみ)(滋賀県)粟津で義仲に自害をすすめ、自分は討死した。
33歳。
信濃(しなの)(長野県)出身。
通称は四郎。
樋口兼光とは、平安時代後期の武将。
中原兼遠(かねとお)の子。
今井兼平の兄。
寿永2年義仲に従い京都に入る。
後河内(かわち)で、京都の義仲が劣勢との報を受けて京都に戻る途中、源義経の軍に降伏し、寿永3年1月27日処刑された。
通称は次郎。
根井行親
根井行親とは、平安時代後期の武士。
信濃(しなの)(長野県)佐久郡根々井の人で、義仲四天王の1人。
源義仲に従って各地を転戦、平家軍を破る。
寿永3年1月源範頼(のりより)、源義経の軍と京都で戦い、戦死した。
根々井(ねねい)とも言われている。
本姓は滋野(しげの)。
通称は小弥太。
楯親忠とは、平安時代後期の武士。
根井行親(ねのいゆきちか)の子。
源義仲の四天王の1人とされる。
義仲の挙兵に従い、寿永2年倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで戦功を立てる。
元暦(げんりゃく)元年源範頼(のりより)・義経の軍と京都六条河原で戦い、父と共に敗死した。
信濃(しなの)(長野県)出身。
本姓は滋野。
如何でしたか?
源義仲は知っていましたが、その家臣について知りませんでした。
源平合戦というのは、源氏と平氏の戦いに見えて、源氏の実権争いという部分もあるように思えます。
最後までお読み頂き有難う御座いました!